今日は 12月27日。
こどもたちは 終業式。
そして わたしは12月23日の大阪はKARAでのコンサートが 今年の歌いおさめでした。
今日は 今年最後のライブツアー(12月21日~24日)の報告と、それから遅ればせながら 今年中には 11月のコンサートツアー(11月11日~25日)の報告を書いてみたいと思っています。
****************
12月20日 東京から来てくれたピアノのシーナを駒ヶ根市駅でピックアップ。大きな電子ピアノを抱えた彼女を車に乗せてまずは温泉へ。 移動の疲れを落としてもらい家に迎え 薪ストーブを焚き、酵素玄米に野菜の夕食。夜7時頃から 遊里庵の居間で音あわせ。まずは、新曲♪輝く雲を聞いてもらい予定曲を次々と合わせてゆく。築80年を超えた新しい住まいに音楽が楽しく浸透してゆく。わたしにとっては 当たり前の静けさが シーナには新鮮だと言う。わたしには 彼女のハーモニーやピアノのアンサンブルが新鮮。風邪がやっと治りかけてかろうじて歌が歌えるようになってきた矢先なので 無理せず、夜は ふたりの布団に湯たんぽを入れ、遅くならないように 眠りました。子どもたちはこの日の夕方から 帰宅予定の24日の夕方まで 父親(前のパートナー)の家に行くように、流れを整えてありました。
21日朝、車や部屋に掃除機をかけ、薪を家の中に補充し、音響&楽器を車に積み込み、ナビに行き先を登録して出発準備。シーナが起きてこないので 一人で掃除&準備をしていたけれど、もう午前9時。。これでは精神性を共有できないな~と、感じたので 「準備から、一緒にやろうね。」と起こしました。演奏は、コンサートの企画から 準備、移動、設営、片づけまで含めて 長いプロセスの中の一場面に過ぎず、ほんとうに自由に自分らしく伸びやかに生きたいのならトータルに動くことを身につけることが大切だと思っています。妹みたいなシーナには伝えることが たくさんあり でもたくさんのことを伝えようとし過ぎても伝わらない。人は、基本的には自分のペースでしか 歩いてゆけないから。時々 一緒に歩んで行けばいいよね。。
今、わたしの日常が多忙でありながら 大人は一人しかいないという この時期も 軽やかなスピード感が あったりもするのです。
途中恵那の田中さんの家に立ち寄りました。
今年の5月に恵那でコンサートを企画してくださった田中さんが、「ヘンプアクセサリーを見たい」とおっしゃたので 通り道なので気軽に寄って とても素敵な再会&出会いとなりました。
「新曲があるので よかったら1曲歌いましょうか?」と申し出ると
ちょうど東京から帰宅したご主人の義人さんも、瞳を輝かせて聞いてくださいました。
「もったいないな~。みんなにも聞かせたいな~。」
みんなって?誰?
話を聞いて驚きました。
義人さんは 会社の社長をされながら なんと10万人も会員がいらっしゃる「日本を美しくする会」の会長さんをされ 休日に各地の公衆トイレ掃除をボランティア長年されていたのです。
その日も 新宿の歌舞伎町の早朝トイレ掃除を終えて帰宅されたところでした。。瞳が透明で、社長という役職にありながら その気配が軽やか。とても素敵な方だなあ~と嬉しく思いました。
最初は35人で始めた「日本を美しく」する掃除が、共感を呼び、今は、10万人。すさんだ汚れた場所が長年の掃除の継続で生き返るだけではなく、掃除に参加した人たちの心が よみがえり、近所の人たちの意識も変わってゆく~「清風掃々」「幸福への原点回帰」などいただいた機関紙や本を読んで なんとも納得のゆく すがすがしい実践に 心を打たれました。掃除の実践の長い「かんてんぱぱ」の代表取締役の塚越さんの「いい会社を作りましょう」という発想も いただいた本や、義人さんを通じて伝わってきました。 今 わたしの願っている「循環型コミュニティー」を育ててゆく ヒントにもなりそうで 触発される出会いでした。
****************************
さて、話題が尽きなくて、1時間の予定が2時間近くの滞在になり、一路信楽へ。ナビの指示を聞き間違え 遠回りして それでも夜8時には、信楽の高橋りえこ亭へ到着。
2年前にMIHOミュージアムでのコンサートを企画していただいて以来の再会。
今は亡き誠さんも 大好きだったあたたかな人脈のつながる信楽。。こどもたちが たくさんいて、誠さんは いつもこどもたちと遊ぶ役だったなあ~。
この日は シーナが こどもたちと 遊び始めました。
ご飯をいただいてから コンサートをずっと楽しみにしてくれていたりえちゃん家族に新曲♪輝く雲 を歌い、お互いの近況を分かち合いました。りえちゃんのパートナーは、神慈会の秀明太鼓のたたき手で活躍されていましたが体を壊し 今は秀明会の有機農業部門に部署を変え、このごろは鶏の世話をされているとのこと。。見違えるように元気になって、若返ったように見えました。
「あんがい、人間って自分のことも 分からないものだね。太鼓が僕の人生かと思っていたら体が動かなくなって体を休めるつもりで部署を変えたんだよ。ところが、こちらの仕事が 僕にはほんとに合ってね~。 こんな好きなことやって 暮らしていけて幸せですよ。」
誠さんも 具合の悪かった彼のことを心配してヒーリングに立ち寄ったりしていました。
一見悪いことに見える出来事も、素敵な転機を運んで来たりします。信楽でのコンサートは 2003年から4~5回目。お互いの変化を そのつど受け取りながら 出会い続けてゆける間柄が日本中にあるのは 幸せですね。
22日、朝 11時頃会場に到着。
MIHOミュージアムは桃源郷のような美しい環境の中に、自然の景観を損なうことのないように調和的に設計された美術館でありhttp://miho.jp/japanese/index.htm、自然農法で育てられた食材、調味料で料理されたおいしい食事をいただけるレストランもあります。
ミュージアムのスタッフたちが「ワクワクミュージアム」という託児の特別プログラムを用意してくださいました。それでも、ずいぶん賑やかでした。100名くらいの来場者の6割は お子さんだったのではなかったかな?
コンサートを終えて、場所を変えてスタッフで鍋をつつきました。
りえちゃん、たーさん、よしこさん、岡田さんありがとう。
みんな 平均的に3人は 子どもがいるので ここも賑やかだったなあ~。
スタッフをしていると なかなかゆっくりコンサートを聞けないし、こどもたちが小さいとなおさら。。
ここでもまた 歌いました。
なごりは尽きないけれど ひとときでも 会えてよかった~。
誠さんの死を悼んでくれて そしてまた 復活したわたしと、見えない世界で元気な彼を感じ取ってくれてありがとう。離れていると伝わらない ほんとうのことが 会えば伝わってゆく、流れ込んでゆくね。
そして、小さい子どもたちを育ててる「ナチュラルママ」のパワーアップしたことを ありがたく思います。。来場者100名を超えたね。。シーナも 呼んでくださって ありがとう。
*************************************
夜みんなが眠った後、シーナの話を聞きました。
レコーディングではいい演奏ができるのに、ライブではいろんな状況に心を乱されてしまう~どうしたらいいのか?
これについては 話せることは たくさんありました。基本的に いつもじぶんのするべきことに 集中すること。音楽家は 音楽だけやっていればいい、とわたしは思っていないのです。いつも、心を込めて生きていたら 心を込めずに歌うことは不可能になってくるんですね。
さて、眠るのが深夜になり、思ってもいないハプニングに見舞われてしまいました。
夜中に トイレに起きたとき、暗闇に中で ドアの前に置いてあったシーナのスーツケースにつまづいて転び ストーブに唇をぶつけて血が流れ唇がはれ上がりました。
闇の中で流れる血を指先でぬぐいながら どうしてこうなるの?って思いましたよ。
翌朝、りえちゃんのパートナーさんが
「大事故を小事で済ませてもらったと 思えばいいんじゃない。」と朝陽の中で言ってくれました。
そんな考え方の友人ばかりでありがたいですね~。
*******
23日は 一路大阪へ。
大阪までの運転中、
「自分いると 悪いことが起こる。。」と話し始めたシーナに、辛抱強く受け答えしているうちに
疲れが 出てきていました。運転の疲れ、人の悩みを受け取り続ける疲れ、やっぱり、マイナスナことをプラスに転じるには 一人ひとりが自分の足で立つことが 必要になってくる。。背負いすぎると 疲れるんですね。
KARAに到着と同時に 激しい頭痛に見舞われて
KARAで1時から企画されていたソウルメイトパーティーには出ずに 車でぎりぎりまで寝ていました。ありがたいことに、シーナが、冷や汗をかきながら機材を運んでいた わたしに休むように促してくれました。
車の移動中 シーナの問いかけに応えて 話していたことは。。
~ミスや至らないことがあって注意されたとき、自分で気づいたときは、言い訳をせず、ただ素直に認めて、ただ直せばいい。悪いことが起きたのではなく、調整が必要なことを できごとは伝えてくれてるだけ。。今の自分に執着せずに、自分は こういうタイプの人間だ~と決めずに必要なことは 喜んで動いていれば みんなに喜ばれるし 自分でも納得の行く自分になれる~
ということを 図らずも ちゃあんと受け取って 実践してくれたみたい。
「え~?これも わたしが運ぶの?男の人はいないの?」と今までだったら ひるみそうな荷物の多さと、会場が3階でエレベーターがない状況にも いやな顔ひとつせず 黙々と 動いてくれたのです。
とても助けられました。
ありがとう、シーナ。
ライブが4時。
3時半になったので さすがに会場に行きました。
でも、ふらふら。
頭の芯が痛いのです。
ありがたいことに
KARAのスタッフであり、友人の京ちゃんが゜「「レイキ」ヒーリングをしてくれました。
そして、徳島の友人に電話が通じ 遠隔ヒーリングをしてもらい、
最後に KARAの代表取締りで、魂の姉妹のももちゃんが ヒーリングしてくれて
頭痛が抜けていきました。
コンサートツアーをしていると多くの方の想念の糸とつながり過ぎて 受け取りすぎて 体調を崩すことがあるのですね。一旦、一人のスペースに戻り クリアになると また体調が回復します。
歌いおさめのコンサートは ヒーリングスタジオKARAのももちゃんに迎えられました。
2004年出会った時から あまりにも自然に 何でも話し、仕事もプライベートも分かち合ってきました。彼女の都会での暮らしとわたしの自然の中の暮らしは対照的。でも深いところでひとつなんですね。この日 集ってくださった方々、これからも何度も再会してゆく家族のようなメンバーが集いましたね。歌ってくれたさやかくん、踊ってくれた天風さん、描いてくれたしょうごくん ありがとう。
ライブのあと、ももちゃんとチャオとさやかくんとシーナと夕ご飯。
そして、おなじみのももちゃんの自宅(高層マンション)に泊まりました。
ささやかな出会いだけど、奇跡の連続。
ももちゃん、また会おうね。
そして大阪と長野に それぞれのビジョンが実現してゆくこと そこには形は違うけれど 普遍的なひとつのものが 流れていることを味わえる出会いの素晴らしさを これからも受け取ってゆくよ。
24日、東京に新幹線で帰るという なごりおしそうな可愛いシーナを新大阪駅に送って、一路長野へ。
満月のクリスマスイブ。
子どもたちを迎えるのに 間に合うかな~?
途中のパーキングで月を見ながら 電話を入れました。
「あと、1時間半くらいで高遠町まで行けるよ。今夜は どうする?」
「今日ねママのところに帰ろうかな。」
と天地と八星。
嬉しいけれど、大忙しだあ。。
大阪からその足で 駒ヶ根と伊那の思い当たるお店を4店まわり 二人にクリスマスプレゼントを買って車の隅に隠しました。また、ずっと わたしの体調が悪くて 映画を見ていなかったので イブの夜は映画会をしたいだろうな~と、DVDを1本借りました。
待ち合わせた県営住宅に着いたのは7時半。
ケーキが作れるように事前に材料は、買ってあったけど、帰ると8時過ぎ。。
さすがに これからパーティーの料理を始めるのは ハード過ぎる。
3人でレストランで クリスマス。
夜10時くらいに自宅に到着して、3人で機材を車から降ろし、ストーブを焚きお風呂を沸かしました。子どもたちと映画を見て、彼らが眠った深夜3時に やっと サンタになることができました。もちろん 彼らは サンタはママだと知ってるけれど(たぶん昨年くらいから)
でも、嬉しいでしょ。
朝起きたら 枕元に プレゼントがあるって。。
天地には電子音ではない 正確な目覚まし時計。。彼は、起きれなかったのは壊れた目覚まし時計のせいだと、なんどか怒っていましたから。
八星には軽くて小さなデジタルオーディオプレイヤー。このごろ 自分で好みの音楽を編集して聴くのが大好きになっています。
そして、彼らの好きな飲み物やおやつを袋に詰めました。
わたしがいただいたクリスマスプレゼントは、信楽のみなさんからいただいた焼き物、西川先生からいただいたかわいらしい食器、タオル、靴下、扇風機、ももちゃんからいただいた 灯油ストーブ。。さっそくみんな 所定の場所を見つけて ちゃんと収まりましたよ。
今年1年を歌いきりました。
やけどで両手が 不自由だったときも
心痛で 涙がこぼれたときも
風邪で声がかすれたときも
直前まで頭痛に見舞われたときも
一人のときも
二人のときも
3人のときも
4人のときも
コンサートをさせていただけて ありがとう。
歌わせていただいて ありがとう。
聞いてくださって ありがとう。
共に演奏してくださってありがとう。。
うたえるという奇跡を ありがとう。