10月14日 日曜日は 岩手県花巻市は、社会福祉法人 悠和会が今年2月にオープンしたばかりのレストラン 「悠和の社」でコンサート。
花巻市の東和町には、カリフォルニア時代に出会ったアンソニー&恵さん夫婦がいて、日本に帰国した2000年から1年に1回くらいは 彼らの紹介でさまざまな場所でコンサートをしている。
実際の初めての出会いは、時を遡って15~6年前らしい。名古屋で開かれたお祭りで 野外ステージうたったとき、ステージまで駆け寄って「頑張ってください!」と声をかけてくれた見知らぬ女性がいたが、それがめぐみさんだった。わたしは、そのときは最初のパートナーと出会ったばかり。彼とデュオでうたい始めた頃だった。
そのあと、日本から、カリフォルニアのわたしたちを訪ねてくれた石森夫妻が、クラメントのシュタイナーカレッジで学んでいた彼らの友人のアンソニー&めぐみさんを訪ねたい~ということで、一緒に行ったとき、再会し 友人になった。
アンソニーは、カレッジを卒業してシュタイナースクールの先生になったが、教室の準備に追われて自分の子どもと触れる時間が少なく、また大好きな畑からも遠ざかり、悩んだ末に 仕事をやめ、当時 わたしが暮らしていたエルクバレーという山に数ヶ月暮らした。
大自然の懐で自給自足に近いシンプルな暮らしをし、天然酵母パンを焼いて 一番近い人里まで車で1時間はかかるが、時に販売して 暮らせないか~と迷っていた。
いろいろと悩んだ末、めぐみさんの実家である花巻市の花屋さんの手伝いをし、英会話教室の講師を始めた。そして、数年後、花屋のお手伝いをやめ、自分でシュタイナー方式の英語教室を運営し始めた。今は、60人の生徒さんがいるそうだ。
その傍ら、自然農の畑を耕し、天然酵母パンを焼き、野菜もパンも、マイペースで販売して暮らしをたてている。
お互い、変化を遠めに見ながら、「ああ~よかった!やっぱり 彼らにふさわしい暮らしに 近づいている。。」、そんなふうに思いあっている。違う場所で、違う道を歩いていても、同じ歩幅で同じ方向に向かって歩いてるのだろう。
今回、紹介していただいた「悠和の社」は、社会福祉法人で、その母体となる悠和会では、「認知症の老人たちもお世話している。彼らが育てた野菜たちを料理して食べていただきたい~と若いスタッフたちの動きは心がこもり、労をいとわない空気がある。
3時過ぎにお店に入り、食事スタートの6時半まで 音響や展示物の設営、リハーサルをおえると、40席が満席になった。コンサートが決まったのは3週間くらい前だったと思うが よくチケットを完売したものだと思う。
たぶん花巻市には5~6回来ていると思う。
そして、毎回コンサートを聞いてくれているお客さん(今は 友人)たちと 再会できるのも なんて嬉しいんだろう。
新聞屋さんを運営して社員が60人いるという男性は、初めて歌を聞いてくれたその夜、宿泊先のアンソニーの家までギターを持って駆けつけてきた。「次はどこですか?ギターでお手伝いしてもいいですか?」そして、青森まで家族みんなで来てくださった。
今回、その彼からオリジナルのCDをいただいた。
「思えば、あれがきっかけで止めていた音楽をまた始めたんですよ。僕も今、歌ってますよ。」
そのCDを帰路ずっと 聞いていた。なんだか、とても嬉しかった。
翌朝、アンソニーたちの家で アンソニーと息子のダニエル君が作ったという、ツリーハウスに登ったり、消防車を改造したワッフルやさんで、ワッフルを焼いてもらって食べたり、二人に似合う「夢をおる家」の服を一緒に選んだりとか、短いけれどとても楽しい時間を過ごした。
アンソニーは、1週間に1日町角でワッフルやさんを始めたそうだ。
「これは、小さいお金だけど日常をまわす循環するお金。。」
前夜は、彼は家のことを話していた。
「わたしたちも そろそろ家を買うことを 考えてるんだね。。まだ、お金はないけどね。この家なのか、、それともぜんぜん違う場所なのか?」
アンソニーたちは 集落にいるより、大草原の小さな家のような場所がぴったりだよ。。
わたしは、そう思ったよ。でも、今の家を買っても、それもまた良し。どちらにせよ、行くべき場所には いずれ行くのだろうから。
わたしも、今、与えられた 家が点在する山すその家を整え始めている。
今日は、庭の樹木の枝払いをし、花壇から山のような石ころを掘り出し、花を植え、日当たりのいい場所に洗濯物干し場を作りました。
子どもたちは障子はりをし一日が暮れていきます。。
今は、今のことを一生懸命。
家を借りていたときと、家を持った今は 家に対して取り組む姿勢は 確かに違うね。
魂の旅の途上にいるわたしたち。自分自身の魂が生き生きと働ける そういう環境をいつも 模索しながら変化をし続けてる 友人たち。
この地球に点在している魂の進化の旅を響きあってる友達とこうして再会し、お互いを確認しあうひとときは なんて祝福に満ちているのだろうか。