10月25日、長崎の由美代さんのオフィスで目が覚める。もう17年くらい通ってきている雲仙は、わたしの第二の故郷とも感じられる。
安心して自分の家のように過ごせる場所。
午前中は、父の葬儀のことでインターネットを駆使して、現地で動いてくれてるアマチのアシスタントをしていた。葬儀屋さんに電話して調べて、アマチにメールを送ったり。必要なことが進められるように現地にはいないけど出来る限りサポートする。
ランチは、コンサートに来続けてくれているアンシャーリーハウスにランチを食べに行く。そこでも、緊急のメールのやりとりが続き、やっぱり父の葬儀のことを考えていた。父は儀式が苦手だったので、母とおなじように家から出棺し、出棺前と、火葬場での待ち時間を有効に使おうと計画を進めた。
わたしは歌で送りたいし、また、父の死を悼んでくださる方々と繋がりたい。
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午後4時ころ、小浜カフェ、サンマルツァーノへ。その直前に由美代さんが、草木染の工房に寄ってくれて、茜染めのシルク&綿のスカーフとCDを交換してもらった。
さて、小浜カフェの前座に由美代さんの息子さんがパンクロック風に歌ったあと、わたしのコンサートが始まったが、びっくりするほどに、うたうことが久しぶりな感じがした。父が亡くなったことを知って、1日しか経っていないのに、(ライブのオフは一日しかなかったのに)わたし(父)の中ではずいぶん時が経過していたのだった。

また、わたしの意識は、うたいはじめると父と繋がって、この世に着地していない「慣れていない」感覚でいっぱいだった。
わたしの生のコンサートを見るのは初めてあろう父の慣れない感覚がわたしの中に流れてきて、わたしは、慣れない車を運転してるような感覚で、聴き手(父とライブ会場のみんな)と歌い手(わたし)の両方を経験していた。
わたしがこの世を卒業する時、父の歩いた道を同じように歩くだろう。
父は、「ゆり子のうたを、もっと早く聞いてあげればよかったな。」と感じている気がした。
わたしもアマチの作品を生きてる間に見に行かなくっちゃ、想像内に収めていてはいけないな~と感じていた。
コンサートの時間にわたしの感性は、著しくひらくので、父の意識と繋がり、父の体のある静岡の様子まで見えていた。
この不思議なコンサートを、会場のみなさんはどのように受け取っただろうか?わたしは、巫女のような状態でコンサートを生きていた。
