大分の祐子さんのおうちで、松下竜一の本を見つけて、松下竜一と父の話になった。
父の蔵書は、もう目も眩むほどたくさんあって把握することは困難だが、父の思想に影響を与えた人の名前は幼いとき敏感に察知し、覚えているのだった。その人たちがどんな考えでどんな活動をしていたかは知らないが、わたしはその人たちの名前だけは憶えている。その人たちは、父の一部でもあるからだ。それらの方々の書かれた本をこれからゆっくり読んでゆくのかもしれない。
父は社会に公正さと平和、環境の健やかさといのちの続く道を求め続け本を読み続け、独自の思想を培っていた社会派の学者だった。

さて、大分を出発し、長崎に向かう途中で、携帯が鳴った。携帯に父の近隣に暮らし、一人暮らしの父の安否を時々気にして見に行ってくれている父の友達の名前が表示された。車を道の脇に止めて、恐る恐る出た。
「吉本さん!今、お父さんの家にいるんだけど、行ってみたら、お父さん倒れて冷たくなってるんだよ。警察と病院に今電話した。」
えっ?
「冷たくなってるって(どういう意味ですか)?」
「もう亡くなっているんだよ。」
「・・・・・。」
事実をまるごと受け入れなきゃいけない時を、わたしはなんども経験している。
父の具合が悪くなって倒れることは想像内にあったが、亡くなっていることは想像したことがなかった。
わたしは、父の体調がいよいよ悪くなったら、拠点を静岡に移し介護し、看取るつもりでいた。えっ?もう亡くなってしまったの?
一ヵ月前に会った父は元気だったし、1週間前に電話で話した声も しっかりしていた。

(9月半ばに会ったときの父)
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わたしは、今、そこへ駆けつけられない。まだコンサートが長崎で4回残っている。みんなが待っている。
でも、誰かがお父さんのところへ向かわなければ、わたしは長崎の方向へ(静岡から遠ざかることができない)進めない。
震える手で、親族たちに電話をした。
息子のアマチ、妹、姪っ子、
一番最初に電話に出てくれたのが長男のアマチだった。妹と姪は何度電話しても通じなかった。
「アマチ、お父さん倒れて亡くなってたって近所の方から電話があったの。ママは、まだコンサートが4回残っていて、行けないの。
アマチ、大切な仕事を引き受けてくれない?お父さんの体を引き取って、ママが駆けつけられる31日に葬儀を決めてほしいの。
そして、お父さんの体をその日まで保全できるように、葬儀屋さんにお願いしてほしいの。」
どんなお誘いも、忙しくて断って来る、アマチが、この時、「分かった!」と答えてくれた。
なんてありがたく、頼もしかっただろうか。
でも、この役割は、20代の若者には、あまりにも重い。
本應寺でご縁の深い尼さん静和さんに電話した。
静和さんも一回で出た。
静和さんは伊豆にいたが、即、静岡へ向かってくださると言う。
枕経(祈り)をしてくださると言う。
ほんとうにほんとうに、安堵した。
それから、本應寺のお坊さん行愚さんに連絡が取れて、行愚さんも、今から静岡へ向かってくださると言う。
ああ、もう大丈夫。
そのあと、警察から電話があり、わたしの長男と、親しい尼さんが現場に駆け付けることを伝えた。
また、第一発見者の友人、アマチ、静和さん、行愚さんと電話で、行き先や今後の流れを打ち合わせし、調整した。
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今、振り返ると この日知らされたからこそ、コンサートに支障なく集中できて、父の葬儀についても冷静に段取りができたことが分かる。
この日は移動日で、コンサートがなかったから。父の大きな愛を感じた。
そして、このあと、4日間続いたコンサートのタイトルは
「星になった大切な人と共に」だった。父と歌を通して時空がつながった ほんとうに貴重な不思議な時間が、ここから始まった。