昨夜遅く長野へ帰り着きました。
なんて、面白い旅だったんだろう。なんていうのかな?一日いちにちが全然違うんだけど、生きていた。
不思議なふしぎなお彼岸ツアーだった。
6月に、大学の新聞会(サークル)の初めての集まりが東京であった。もうかれこれ35年ちょっと経つけれど、本当に個性豊かなカオスな面白いメンバーが揃っていて、わたしが音楽と出会えたのも、新聞会に居たからだと思う。
久しぶりに再会した新聞会のメンバーの一人に声をかけてもらって、山梨の小菅村で開催された「自然誌研究会」のお祭りに参加したの。

9月21日 コスモスを畑からたくさん摘んで、出発

小菅村のとあるキャンプ場へ到着


なんと、会う人、会う人、みんな学芸大学の卒業生。同じ世代で、同じ風景の中で授業に真面目に出席するより、社会のあり方、自分の生き方を模索していたどこか、通じる不器用な熱い想いを持っているんだよね。
誰も知り合いがいない、祭りにお邪魔かしら?と思っていたのが、次第に馴染んできたのでした。

奥の方に、バーがあって、そこに座ると、次から次へと美味しい食べ物が出てきて、アユ、キノコの天ぷら、芋天、うどん、など次々いただいて、ビール飲んで、話して。台所をつかさどっていたのは、男性。カクテルなども、オーダーしたら、なんでも作ってくれるらしかった。翌朝も、美味しい珈琲を出してくれたの。
手前は、ライブ会場で、いい感じのうたや演奏が夜まで 続いていました。

わたしも歌いました。学芸大学生だった時代の歌から今にいたるまで1時間弱歌ったな。即興でベースをつけてもらえて幸せ。

これは、大地を踏みしめて♪を踊ってもらっている。なんだか楽しくて、ジャンベを叩かず、拍手してる。(笑)
自然誌研究会は、大学時代のサークルがその後40年続いているというから凄い。集まり方が、緩いから続くんだろうなぁ。自然と、食べ物とお酒と、音楽が、やりたい人が やりたいことをやっているのが上手く回っている感じ。
山の気配が沁みてくる。バーも、ライブ会場も半野外だから。
翌朝、「こんな集まりでも良かったら来年も来てね。」と言ってもらえて、来年も来たいな~と思ったけど、来年は、遊里庵の畑でコスモスコンサートもやりたいので、日程を考えなくちゃ。
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9月22日
ほんとにラッキー 小菅村と 青梅は近いんだね。1時間の移動で、コンサートの会場 ハクナマタタに到着。
今回は母屋ではなく、渓流の上にできたばかりのデッキの上に会場を作りました。

鳥の声と渓流のながれる音、時々蝶々が飛んでくる最高の環境

主催ののりこさん、敬子さん、ゆみちゃんとの再会はもちろんのこと、新しく出会った懐かしい人、25年ぶりの再会、中身の詰まった贅沢な時間でした。ライブの後のシェアと持ち寄り夕ご飯の時間は、家族の用事に行ったり来たりしながら過ごす仲間もいて、でも そんな風に継ぎはぎでも、貴重な会える時間は、お互いのエッセンスが交歓されていて、今でも、みんなの気配が残っている。
新しく出会った方は、カフェをされていて、うたいに来てねと声をかけてもらえて、出会いが広がりそうでうれしいなぁ。25年ぶりの再会も、味わい深かったなぁ。暗くなった頃、わたしは志織ちゃんと、杉並区の本應寺へ移動しました。
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本應寺は、わたし自身が仏道を学んだお寺。朝夕の日常勤行が1時間半ずつ行われていて、それに参加するだけでも、心身が鎮まります。
お彼岸供養は、コンサート、法要、お墓参りという流れ。
9月23日、お彼岸供養の後、急な出来事で、サンガの一人の御連れ合いのお通夜になったと、お聞きして、お彼岸コンサートの曲目の中に、故人を送るうたを入れました。

人の誕生と旅立ちは、祈りを尽くすと満ちて運ばれてゆくように思います。

楽しいことも悲しいことも、今 生きてるからこそ、味わっている。

お彼岸供養の後は、お料理のお手伝いをして、お通夜に参列し、そのあとは、直会。

みんなで 飲んで語らって。
9時ころには、退散して、長野へ向かいました。