愛の花

ainohanam.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

うたうように生き 生きるようにうたう⑦

5)吉本有里という生き方⑦
歌に魔法がかかる
20代前半
短時間で高収入のバイトへ この世の裏を知る 健康教室とS学園

「とまや」の次は無認可保育園「どろんこ」の保母さんの産休代理の仕事をしました。仲間も仕事も食事もよかっただけに、仕事環境が良くても早く帰って音楽がやりたくなってしまう自分自身に気がつき、これは、仕事時間を短縮しようと、短時間で高収入を得るアルバイトを情報誌などから探しました。面接を受けて正職員にならないか誘われ、職員になった職場が二つありました。

最初の職場は、健康料理の講義のアシスタント。人の良さそうな老夫婦が開業されていて、ご主人が仕事をしすぎて体を壊し、健康の大切さを痛感して職業替えしたとのことで、共感して職員になりました。ところが仕事は、講義の後、高価なステンレス鍋や羽毛布団を売ることで、あれっ?と疑問を感じましたが、そのうち、支払い催促の電話が各方面から入るようになり、給料も不払いになり、経営が傾いていることに気づきました。間もなく、コピー機などいろいろ使えなくなり、個人業主の脆さをまざまざと見せられたような気がしました。

公共の相談所に行くと、もらうものをもらってさっさとやめるか、つぶれるまで一緒に働くか?と助言されました。

え~??社会って?こんな大変なの?   

父が国家公務員で静かな守られた環境で育ったので、荒々しい現実に驚いたのです。何人かアルバイトさんがいて、話の通じる一人の女性と友達になりました。仕事の内容への疑問、給料が出ないことに憤慨しあって、それぞれに行動を起こしていましたが、他の人は、文句ひとつ言わないのも不思議でした。

わたしと友人は、できる限り払ってもらい退職することにしました。「ほかの人の給料まで取るのか?」と、言われましたが、それは言いがかり・・・、シンプルに交渉すると、お金の代わりに製品が渡されました。そのときいただいたステンレス鍋は実家にあり、今も大事に使っています。

次の職場は、不登校の子どもたちを対象にした私設の施設。「学校」認可されていないので、卒業しても中高の卒業資格は得られないのですが、授業料や入学費用をいただいて、〇〇学園と名乗っていました。

面接に行くと、正職員にならないか?誘われました。条件も仕事の内容もよさそうに見えて、職員になりました。ところが、日々の日課が、ホームスクーリングの手伝いと河原での野球だけ。子どもたちは、「たむろ」できけれど、本気で関わっている大人がいるわけではなく、理事長先生の指示したことを、顔色をうかがいながら表面をなぞっている感じでした。

精神科医を名乗っている理事長先生の言動に疑問を感じました。子どもたちへの本気の愛情が感じられず、職員への過剰なコントロールに、アルコール中毒では?と感じ始めました。
仕事が終わると、職員やバイトさんたちに有無を言わさず、ミーティングと称して飲みに連れて行き、飲んだ勢いで気に入らない行動への執拗な叱責が続き、誰も帰れなくなり帰宅が連日、深夜になっていたのでした。

ある日、わたしが初めて叱責の標的となった時、同じ話題、同じ叱責が繰り返されて、これにつきあってるのは無駄だと強く感じました。帰るための口実を探した挙句、「すみません。帰らせていただきます。」と、席を立ちました。

考えにない言葉が勝手に飛び出した感じでした。不毛な時間から退席するのに適切な言い訳が見当たらなかったのです。

みんな呆気に取られていました。
翌日、理事長先生も他の先生も親切でしたが、わたしは辞めることを決めていました。

肩書を利用して困っている方々からお金を吸い上げるような仕事の仕方、意見の言えない上下関係が作り出されて共依存になってゆくこと、小さな組織でしたが世の中の裏側を見せられ、学ばされてる気がしました。





by ainohanaMusic | 2017-08-16 00:28 | | Comments(0)