愛の花

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うたうように生きて 生きるようにうたう⑤ 憧れのミュージシャンとバンドを組む

今 原稿を書き進めている自叙伝本。
30代~50代が 非常に波乱万丈になってゆきますが、その前の20代のころ、わたしも忘れちゃってる出来事を書きながら追体験中。
みなさんのいろんな体験も重ね合わせながら 読んでくださるといいなぁ。
どんな体験も それがあっての「今」ですね。



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吉本有里という生き方⑤

憧れのミュージシャンとバンドを組む


大学卒業後、吉祥寺に引っ越して、かつてたくさんの音楽仲間に囲まれて音楽をしていたのに、周囲に仲間が一人もいなくなりました。
うたはどんどん生まれてくるけれど、当時のわたしの弾ける楽器はバイオリンだけ。伴奏用にコードをとることもできませんでした。一人では演奏活動は無理な状況。どうしたらいいんだろう?

ある日、思い切って、一緒に演奏したミュージシャンの中で 飛びぬけて素敵な音を出すスチールギター奏者の駒澤さんに今後の相談するために会いに行ったのです。彼の演奏は素晴らしくて、仲間たちも特別に敬っていた先輩格のミュージシャンでした。

実は、わたしの参加していた「よいしょバンド」を追っかけてビデオ撮影していた男性Dさんが、不思議大好きで、良かれと思って誘ってくれていたのですが、Dさんがらみで神さま事に巻き込まれ、わたしとOさん(元カレ)は一時大変な思いをしました。駒澤さんもその中におられて、同じ経験をされました。わたしは、その神さま事団体に参加するとあっという間に追い出されて、Oさんも一足遅れて追放され、駒澤さんは、最後に、自ら離れたとのこと・・・そのゴタゴタが収集して、やっと当時を振り返り、分かち合い、お互い無事でよかったねと、再会を喜べたタイミングでした。

「神さま」は、目に見えないから、ご神託の源は何者だったのだろう?巻き込まれたスピリチャルなゴタゴタは、スピリチャルから一歩距離をとるいい洗礼になりました。


月の光が美しい夜に、散歩しながら相談したのを覚えています。
わたしは自分のうたをうたいたい、活動したい。そのためには音楽仲間が必要だけどどうしたらいいんだろう?


駒沢さんが「では、誰と一緒に演奏したい?」と聞かれたので
迷わず、「駒澤さんです!」とポンと言葉が出ました。

そのとき、「月影」といううたが生まれました。
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月影
めぐりめぐる木々の精よ 月は照らす 地上をめぐむ
手のひらを そっと 差し伸べて 指先に いのちの流れ
あーここにー わたしはいるよ あーここにー あなたはいるよ

めぐりめぐる雲のゆくえ 胸に沁みる月の陰り               )
緑の丘であなたと二人 時の流れをここにたどる
あーここにわたしはいるよ あーここにあなたはいるよ

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駒沢さんは、知る人ぞ知る「ハッピーエンド」のメンバーでもあり、矢野顕子さんをはじめとして実力派の歌い手のバッキングミュージシャンで活躍されていた方ですが、あまりの忙しさに心身がおかしくなり、ツアーから逃亡して屋久島に籠り、その後 東京の無農薬八百屋で働き、そこで神様ごとに巻き込まれ、その後は用賀の音楽スタジオで独自の音作りをされていました。


それじゃあ、やってみようか。
と思いもよらない展開になりました。

ただし、駒澤さんのいう「やってみようか?」は、ライブ活動ではなく、スタジオでの音作りでした。

そして、多彩で面白いメンバーが集まり、わたしのうたの音作り&音体験が始まりました。わたしと駒澤さんを入れて5人。バンドの名前は「万華鏡」となりました。活動したのは1年、ライブは1回、レコーディングも1回。


ドラムは、チナキャッツという素敵なバンドのボーカリストのオハル。
彼のコーラスがくすぐったいくらい楽しくて、音楽はハートで、瞬間に自由になっていいと知りました。
繊細なうたをうたうSさんは、駒さんのお弟子さんでした。彼は、わたしに痛いほどのライバル心を持っているのが伝わってきて、本当にやりにくい存在でした。ベースのMちゃんは、わたしの友達。彼女はわたしのうたが大好き。笑顔があたたかくて、その存在に支えられました。そして、駒澤さんは重厚で緻密な音を操る哲学家のようでした。

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年たって、ドラムのおはるが脱退。万華鏡の初ライブの日、自分のバンドもライブが入っていたのを諦めて「万華鏡」に出演。自分のバンドも家庭もあるのに、1年よく付き合ってくれました。おはるが抜けて、駒澤さんから提案があり、一時的にメンバーを入れ替え、音を見て、レコーディングに突入。わたしには、まだ分からなかった「音」による選別。自分のやり方も感性も、育っていなかった時代の後味の悪さも残る経験でした。

レコーディングの日は、いつもと同じで 日曜日の深夜12時にスタジオ集合。そのころ平日は、いろんなバイトを掛け持ちしていました。その日、スタジオに着くと、わたしは脱水症状になっていて、ペットボトルの水を3本飲んでも、立つこともできず、横になった状態でうたいました。

その後、万華鏡は、自然消滅してゆきましたが、1年、ほんとうに必要な体験をさせてもらいました。
都会で、週末の夜中12時に集い徹夜して、スタジオで音つくりをした日々。音の魔術師のような方、底抜けに明るいあたたかい仲間、妖怪みたいなヘンテコな人、いろんなタイプのミュージシャンとスタジオで引き合わせてもらい、そのたびに、びっくりしておかしくて、笑ってしまい歌えなくなりました。

学んだのは、音。面白くて楽しい、美しい、自在な音。人によって音は異なること。
そして、教訓は、一番好きなことを、後回しにすると、一番大事な時に力が出ない。
大切な友達とのかかわりは、遠回りでも時間をかけても優先させてゆきたいこと。

自分のハートの声を聞き、自分なりのやり方を見出してゆけば 長く続くこと。


好きなことを一番優先にする覚悟が決まりました。




by ainohanaMusic | 2017-08-04 22:07 | | Comments(0)