吉本有里という生き方④
⑵バイオリンが上手になりたい
バンドのボーカリストでバントを率いていたOさんとわたしは、親密になりました。恋人というより兄弟、優しい兄貴にくっついていろいろ吸収し、彼はわたしの存在と独自性を面白がって世話をし、なんでも共有しました。
いつも一緒にいるのに、それぞれにアパートを借りてるのはもったいない。立川の古い米軍ハウスを借りて一軒家暮らしに移行。広いリビングは音楽室になりました。
彼は、わたしにうたが生まれるたびに喜び、支えました。アレンジ、演奏、カセットアルバムライブも編集しました。
しかし、いいものが仕上がらないのは、わたしのリズムと音程の悪さ。そして小さい時にいやいや習っていたバイオリンの音色の歪みが問題でした。美しくなかったのです。
ロックバンドのときは、激しくたたきつけるような音を出していましたが、わたしにやってきたうたは、シンプルで美しい世界でした。美しい音を出したいという願いが生まれました。
大学を卒業すると、ロックバンドの活動がストップしました。永遠に存在していると思っていた個性的なバンド。週末ごとにいろんなイベントに呼ばれて演奏していた人気のあった学生バンドでしたが、メンバーが、就職すると音沙汰なくなり、わたしは来ない仲間を待ってる状態になりました。音楽を続けるために就職しなかったのが、わたし一人だったのです。わたしは、音楽活動優先で、バイトで暮らすことに決めていました。
一番音楽に疎いわたしが、うたを続けることを第一優先に考えていたのが本当に不思議な現象に思えました。今思えば、わたしのうたは、生きることの意味を深めるうただったので卒業がなく、「反体制」のロックは、メンバーの就職と共に水面下に隠れ、一緒に青春を過ごしたOさんとも、一緒に何かを作り上げる時間がなくなりました。
問題があったわけでも、嫌いになったわけでもなかったけれど、二人でいても、ディレクションが違っているので、未来が見えてこない。彼はある市民団体の専従スタッフになり、帰宅が深夜。待っていてもなにも始まらない。自分の道を歩こう。引っ越しを手伝ってもらい、立川から吉祥寺に引っ越しました。彼と別れてから、一緒にいるときに受け取ったものの大きさに涙が流れました。わたしのうたを引き出し、育ててくれた人でした。
わたしはバイオリンをどうやったら上手になれるか、2年間所属していた大学のオーケストラの弦楽器のトレーナーさんに相談しました。
先生のシンプルな答えにびっくり。「上手になりたければ、一日6時間以上練習しなさい。」
バイトしてたら疲れてしまって、できないだろうな~と自分を知ってるだけに、答えはひとつ。わたしは一日に6時間以上バイオリンを弾くために、バイオリン演奏のバイトを探し始めたのです。バイオリンをうまくなりたいために、バイオリン演奏の仕事を探す。卵が先かニワトリが先か?いったい、わたしの頭はどうなっちゃってたのでしょう。(笑)
アルバイトニュースなど、隅々まで探して、「バイオリン奏者募集」を見つけて応募したのです。あるスナックが、音大生のバイオリン奏者を募集していました。これは、自分を追い込む荒療治となりました。
音大生でもないし、一曲も満足に弾けないのに、面接の為に「アベマリア」をにわか練習して、面接に通りました。
一日目のことは忘れられません。小さなスナックでスポットライトのあたるステージに出てゆく直前に、ピアニストの音大生から譜面がわたされました。わたしは、譜面を満足に読めないのです。初見で弾けるはずもありません。どのタイミングでバイオリンを弾き始めたらいいのか?自分の弾くメロディーすら分からない。ピアノの前奏を聞いてる間にサァーと額が青ざめるのを感じました。ちびまる子ちゃんが青ざめるシーンで、顔に縦線が入るのが、自分で目に見えるように分かりました。
その日をどうやって逃げ切ったのか?記憶にないのですが、翌日には秋葉原へ楽譜を買いに行き、映画音楽のテーマ曲を次から次へと練習して、その夜からは、自分からピアニストへ譜面を渡して、練習した曲だけを弾いて、数か月、なんとか勤めました。
スナックは、お酒を飲む男性について接客をする女の子と、先生と呼ばれ着飾って舞台で演奏する女の子に分かれていました。わたしは、必死でその時間のために練習したことしか覚えていないのです。また、マスターの探るような目も覚えています。
一日6時間弾くなんて無理だ!と思っていたのが 明日をなんとかしなきゃあと思うと、お尻に火がついたようにバイオリンを弾きまくる日々でした。心は臨戦態勢になり、暮らしに余裕がなくなり、3食外食の日もありました。自分にエネルギーを入れるために、ステージ前に、ひとりで贅沢なコース料理を食べたことも覚えています。音大生にとっては、あのバイトは簡単な短時間、高収入のバイトだったと思うのです。しかし、音楽教育を経ていなかったわたしには、ものすごいハードルの高い仕事でした。
しばらくして、オーナーもさすがに、変だと思ったのでしょう、首になり、しかし、また、懲りずに次の仕事を探しました。次の仕事は、大学時代のオーケストラのトレーナー「一日 6時間以上弾くこと!」とアドバイスしてくれた先生に、紹介をお願いしました。
ふたつ目のバイオリンバイトは、新宿の歌舞伎町の社交ダンスのホールで、ラテンバンドのバイオリン奏者の仕事でした。やはり最初は譜面が読めず、ついてゆけない。弓の上げ下げだけ腕の動きを合わせて、実際には音を出しませんでした。第一バイオリンのおじいちゃんがすぐに気がついて、特訓が始まりました。30分本番、30分休憩を5セットの仕事時間に、休憩を返上して特訓をしてくれたSさんは わたしの尊敬するバイオリンの師匠となったのです。
Sさんのレッスンは、次のステージが弾けるように、という応急処置ではなく、基本中の基本、右手と左手の楽器の持ち方から始まり、ボーイングという右手(弓)の運び方、簡単な音の音程の正確さ、イロハのイから始めてくださいました。Sさんは、音楽を心から愛し、一生音楽を続けてゆける心の在り方を伝授してくれたのです。
家にレッスンを受けに行くようになり、そのとき、耳を引っ張られて「これはなんだ?ロバの耳か?」と何度も注意されたのを懐かしく思い出します。「音楽家は、これでいいと思ったらおしまいだ。もっと正確にもっと美しく、その探求心が人を一流にしてゆく。」
また、わたしが両親から買ってもらった20万のバイオリンを仕事にふさわしくないと婉曲に言われ、バイオリン購入を勧められました。そのとき初めて気がつきましたが周囲にいたプロの皆さんは、200万円以上の楽器で演奏されていました。わたしは、Sさんにお借りしていろんなバイオリンの音色の違いを体験して、それぞれのバイオリンの音色(性格)についても関心を持つようになりました。
Sさんは、もともとわたしの「先生」として わたしの人生に登場したわけではないのですが、音楽をこよなく愛する心が、音楽を探求し始めた新米のわたしを発見して、惜しみなくスピリットを伝えてくださったと思うのです。

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