震災から1年
朝から パートナーの哲生と一緒に飯田の「てくてく」に向かう。
コンサートの日は 前夜には音響機材などを車に積み込み、朝は 楽器を積み、忘れ物がないか入念に点検する。それこそ、電源コード1本足りなくても支障があるので おおざっぱで忘れやすいわたしは 点検を3回くらいするようになった。
そういえば、地元でも コンサートやシェアリングなどの機会を増やし、等身大で出会える場所を作ってゆこう~と意識するようになったのは 震災がきっかけだった。
大きな災害があれば 歩いてゆける範囲内で どう生きてゆくかが問われる。
幼いころから どこか周囲と感覚が違ったのは、調和した喜びのある世界を この世でどうやって作ってゆけるかを いつも考えていたからだ。その願いを だれにも遠慮せず 全うしてゆこうと震災の時 思った。人にどう思われるか気を使い 足並みそろえることよりも 自分が納得した人生を全うすることが大切だと感じた。
生きても死んでも どちらにせよ 魂の旅は続いてゆく。
迷いから解放されること 目覚めてゆくことは ほんとうの自分と出会い続ける中にある。
自分に帰れる場所を、コンサートとシェアリング、リトリートという形でわたしなりに現わしてゆこうと改めて思った。
朝、10時半
てくてくについて、オーナーの恵子さんとしゅうさん、パートナーの哲生と設営を始める。3人でやったら お昼にはゆっくり話す時間もできて、お互いを改めて知り、また 震災があった時間に黙とうしましょう~という打ち合わせもできました。
来てくださった方は、誰に勧められたわけでもなく チラシを見て一人で来られた方々の集まりでした。知らない音楽を、 チラシ1枚でのインフォメーションで料金を払って聞きに来るには勇気がいる。3月11日を どう過ごそうか~迷った末に来てくださった方々、 静かだけれど 満ちた時間となりました。

シェアリングは7人で囲みました。これが また 味わい深かった。3月11日 震災への思い と それぞれが自分の人生に感じていることが 曼荼羅のように組み合わさって、生きることが尊く感じられ、迷っても、ありのままで語ることで、流れ出し、輝く存在として繋がってゆけることを 感じました。

帰り際にオーナーのしゅうさんが
「毎年 3月11日に やりましょうか?」と思いついたように言いました。
うれしい言葉だったな。
3月11日をどう過ごしたい?
ありのままのわたしとみんなが出会い 輝ける場所を作ってゆきたい。
足元から平和をうたってゆきたい。
ああ~やっぱり今年も7月 東北へ唄いに行くんだな~と心が 起動しました。
また、足を運こぼう。
来てほしいところあれば 連絡くださいね。
迷っても大丈夫 ありのままを語りあい、手放し、ほんとうの自分を掘り起こし、繋がってゆきたいですね。