愛の花

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リトリート 番外編 祈り~他力~

夏休みだというのに、次男の高校は ほぼ毎日、学校で用事がある。
 
補習、当番、畑の調査、資格試験、部活・・。お盆のさなか8月14日までも 田んぼの調査。そして、新学期が始まるのは8月21日・・・先生たちも 毎日、学校へ出ているという・・・これでは、なんのための長期休みか?大人も子どもも、日常の義務から離れて深いところの安らぎを求めていると思うし、そのための休みだとわたしは感じているので、夏休みにして2回目に次男が学校(外での作業の熱中症?)疲れが出て休むことにした今朝は、それはごく自然なこと、と感じたのでした。また、学校への車で送る時間(往復1時間)が空いて、わたしにとっては、ひさびさ祈りと瞑想の時間がいただけたのでした。
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(今朝のご飯・とれたてサラダを縁側で)

忙しい日常では、後回しになりがちなのが 祈りと瞑想、そして掃除・・・
けれど、これが 肝心かなめであることは やってみれば すぐに気がつく。

わたしの場合は「仏教徒」というわけでもないのに、ご縁に導かれて 東京は本應寺のご縁でお念仏と瞑想を自主的に暮らしに取り入れて7年になる。義務ではないが 時間が取れたら、「座りたくなる」というスタイルがわたしには合っている。

この世に編万している 数限りない「光」

参加者やスタッフの一人ひとりの「魂」は光・・限りない可能性の宝庫。その扉をあけると
「光」が起動するし、「闇」もまた放出されるから、大掃除も必然。

リトリートは、祈り(呼びかけ)と瞑想(応え)、そして大掃除(今まで蓋をしてきた可能性の扉をあけるので、光も闇も放出される・・一旦 すべてをしっかり抱きしめて、手放して 器をきれいにする)が、昼間の活動の中、遊びの中、シェアリングにも、動的にさりげに含まれているけれど、朝の1時間 静かに座るという「形」をもって行うとき 心の隅々までが整ってゆく感覚が気持ちがいい。
 
この1時間にインスピレーションが降りて、本質的に大切なことがなにか気づき、優先され、その日のスケジュールが修正される~という展開に毎度のことながら驚いてしまう。

南無阿弥陀仏・・
サンスクリット語で
ナム・・・すべてお任せする
アミター・・・人知を超えた偉大なる光

人知を超えた偉大なる光にお任せする・・と 唱える言魂(ことだま)は
真言(しんげん)、まことの言葉なのだな~と
今朝も すがすがしい気持ちで始まったところです。
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(2007年夏のリトリート 朝の祈り)

親は、子どもになんども、名まえを呼ばれると振りかえる。
親の偉大さがわからない子どもでも、呼ばれればかわいい。

そう、仏とはなにか わからないわたしでも、仏さまが助けてくれる存在だということは知っている~

自分で決めて頑張る「自力」が縦糸としたら、ゆだねて大いなるものへ導きを任せる祈り、「他力」は横糸。
縦糸と横糸で織られてゆく、かけがえない日常は広々としている。たくさんの助けが、働いていることを感じているのです。

すべてのいのちに手をあわせる暮らし。
自分の力を超えた「万物の営み」の中に わたしの暮らしと活動があることに感謝です。
by ainohanaMusic | 2011-08-09 11:33 | リトリート | Comments(0)