7月30日、リトリート二日目。
朝7時半に家の横の木陰にみんなで座った。
小さなこどもたちが5人、家の中でスタッフと遊び始めている。
前日、遠くからやってきたばかりの子どもたちを、朝から惹きつけて 大人が静かな内的なワークに集中できる体制を作ってくれるスタッフたちに感謝。

子どもたちに見つからないように、朝から強い太陽の光に照らされないように、家の正面ではなく、横で 大人の参加者の6人と裸足になって、静かに歩き、足の裏で地面にあいさつをする。
リトリートでは恒例のサイレントメディテーションの始まりに 今回は 裸足で地面を感じてみる時間をたっぷりとった。そこから、外の水道で足を洗い、靴を履いて、一人ひとりが 自分の足の裏が誘うそれぞれの場所へと 1時間 出かけてゆく。目的をもたず、ただ感じるまま、草を触り、地面をなでて、畑の野菜をかじり、川のせせらぎに誘われて山の中へ入り、あるいは地面に座り込んで虫に見入り、内なる自然が開示してゆく時間を旅する。
いつも、みんなが体験した1時間のシェアを聞くと 当たり前だけれど不思議なのは、それぞれに語りかけてくる自然の精霊は違う姿をしていること。ある人には蝶ちょ、ある人には トンボ、ある人にはアマがえる、ある人にはせせらぎ、ある人には葉っぱが話しかける。
自然の中には数限りない命の営みがあり、その大調和の中にわたしたちは生かされているということを、精霊たちは ちゃんと それぞれに伝わる姿で語りかける。
人間しか見えなくなっている日常から、もっと大きな世界に誘い出してくれる精霊たちが大活躍していることを
今回は わたしはしっかり感じていました。リトリートは、自然の精霊や目に見えない守護者たちとの共同作業。みんなが本来の自分に帰る~大調和に還る~ということは、すべての生きとし生けるものが願っていることだということは 震災以来 強く感じています。
それぞれの心が のびやかに 可能性に満ちた場所へ向かうには 内なる自然を開示すること。あたりまえに見過ごしていた 草や木の中に、尊いいのちが輝いているということを知ることは、自身が尊いということを知ることと 同じ。
この日は、自然の中でサイレントメディテーションのあと、朝ごはん、そして勤行と瞑想、静かに内側に入ってゆく時間から昼ごろ、ゆっくりシェアリング。そして午後はコンサートでした。

ゆっくりと確実に 自分の内側に降りてゆく。そのために必要な環境を整えてゆく。
汚れないように、めんどくさくないように、心が傷つかないように、洗練された暮らしを 無意識に当たり前にしているみんなの中のオフになったスイッチを順番にオンにしてゆく。自然の中の精霊たちの声が聞こえる場所に行くために靴を脱ぎ、自分自身の感情が感じられるよう、人の気持ちをただ聞いて、好きなことを好きなように感じていい~という信頼に心がひらかれて 夢中になって飛びこめる場所が少しづつ見つかってゆく。
大人の中におこっていることは シンクロして子どもたちにも起きてゆく。
素直な心がひらかれると、悲しみや苦しみさえも手放し、泣いた後には、感謝に転じてゆく。
この夜は わたしの○●歳のバースデイ。子どもたちが そのために歌を練習してること、実は気がついていた。一生懸命、作ってくれたバースデイケーキや、折り紙手紙、かわいい手紙が今も わたしの目の前に飾ってあるし、みんなの歌声は今も わたしの胸で鳴り続けている。