愛の花

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痛み分け

前提として 「起きることはすべて一番いいこと」

わたしも 哲生も 二人ともその信念があることを 昨日知った。

あれ?なぜだろう?
二人とも全然落ち込んでないし 明るいなあ~と思ったら、
二人とも 昔からそう信じて生きてることが わかった。

「火事の時、大切なことが起きてることわかってた?」 と聞いたら

「もちろんだよ。人生の最大イベントが起きてると思ったよ。めらめらと燃えてゆく家を見てたら夢を見てるようだった。現実は 夢のようなものだと 感じたよ。この目でしっかり見届けようと思って見ていたよ。」

「そっか~ よかった!人によっては 自分の家財と自分を切り離せない人がいて、そうすると気が変になっちゃうけど、哲生は ちゃんと切り離せたんだね。」

「もちろんだよ。なにか これから大切なことが始まるんだな。」って思ってた。

そんなふたりが、ひとつひとつ やるべきことを 今 やってます。

わたしは、自分の仕事を 限られた時間で しっかりこなし、
哲生のお見舞に来てくださる方や哲生と、ある程度 時間を共有し
時空を満たしてゆくこと。


哲生は、通帳やすべてが焼失したので 役所をまわって いろいろ整えています。
わたしは、自分の集中すべきことを、お見舞いの方が来てくださる前に済ませておこうと、今パソコンに向っています。

****************************************
 
二つの火事をふりかえって   【痛み分け】

昨日は 哲生と警察、ストーブの業者と3者での2回目の現場検証だった。
あり得ない出来事が起きたとき、事実だけをありのままに冷静に語ることが とても大切だ。

哲生に過失がなかったことは明らかだったが、出火の原因は まだ不明。ストーブ業者さんは「無事故でやってきたのに 自信を失った。」と肩をおとして帰られた。

哲生が体験した経緯は、ストーブに火をつけてしばらくしたら、天井からヘンな音がして、それからしばらくして水が落ちてきて天井が燃えているのに気がつき、消火を始めたが 数分後には熱風と黒煙で家にはいられなくなったということ。
 わたしが火事の現場に駆け付けたとき、もう事情徴収が始まっていた。
哲生が「煙突が欠損してたのかな?」と言い始めたので、わたしは哲生に伝えた。
 「見たことだけを言うようにした方がいいよ。想像したことを話すと、それが一人歩きするから。」

6年前に火の気配の全くない台所の上の天井から出火して、原因不明となった わたしの家の火事の場合、「煙突の炭化現象による火事」と憶測された。それは、隣人の想像だったが、わたしも一時 そうかな?と錯覚するほど強い意見だった。ストーブやお風呂の釜の火が消えても 煙突周りが熱して そこから火事になるということがあるそうだ。
 ところが、煙突があった居間とお風呂には 全く火の気がなかった。炭化現象なら、煙突から遠く離れた台所の天井から出火するはずもない。
 1週間後に、「漏電」しかないと 入院していた病院で気がつき警察を呼んだが、検証も終わり現場もかたづいて報告もあがっていると、話をきちんと聞いてもらえなかった。出火を目撃したのは わたしと火事で亡くなった誠さんだけだが、わたしは 子どもを助けるために、やけどを負って入院したので現場検証には立ち会えなかった。後日、聞いた話では お風呂の裏に 薪を山積みにしていたので そこが一番炎があがった形跡があり、そのあたりを調べたりしていたらしい。
 
憶測が前面にでると、調査するポイントがずれてしまう。火事になった家の電線の消耗度とか配線図とか大家さんへの事情徴収で調べてほしかった。そうすれば 結果は、原因不明になっても、大家さんとわたし、双方が痛み分けをしただろう。
 
火事のあとかたずけは大家さんから「そちらで」やるように言われた。隣人たちが大変な作業を肩代わりした。数カ月して、これは大家さんにどうしても、直接言わなきゃいけないと感じ、出火は台所の天井からだった~と事実をつたえに行った時、出火はお風呂からと、新聞に出てたわよ変ねえ、うちに責任あるようなことは言わないでほしい、先祖代々の家を焼かれて迷惑している~と言われた。

なぜ、そんなことになったのか?と思い返せば わたしは だれも責めたくなかったからだ。人が亡くなるほどの大変なことになって、わたしも重度のやけどを負い、家財も仕事の道具も車も失って、証明できないことで人を責めるような言い方はできなかった。

ところが、哲生は責めてるわけではないが、責任があると感じられる相手に対して言うべきことをはっきりと言っている。そして、自分に過失がないことも 明確に言葉にしている。

「こんなこと言いたくはないのですが、言わなくちゃいけないと思うので言っておきます。なんらかの責任をとってもらいたい。」

これって必要だなあ~
感情を交えず、言うべきことを言う精神性と痛み分けの心。

「想定外」の地震で壊れてしまった 原発で 暮らしを破壊されてしまった多くの家族たち。
 もう二度と起きないように、起きたことへの責任をとることをみんなが求めたら、責任を求めた方も求められた方も 相方痛みわけをしながら 新しい道を歩くことになるだろう。

いろいろと感じてます。
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by ainohanaMusic | 2012-01-27 12:47 | 心の旅日記 | Comments(0)

さらさらの雪・旅立ち

朝、7時半。
次男の八星を高速バスのバス停に送る。
旅立ちの朝。

愛媛に暮らすお父さん(別れた元パートナー)の家に 年末2週間ほど遊びに行って 庭師や引っ越しのアルバイトをしたことが希望になった。
 八星の気持ちが変わらなければ 3月に退学する方向で考えていることを 先生にも伝えた。教頭先生も担任の先生も、最後の最後まで 八星の役に立とうと 親切に選択肢を教えてくれてありがたかった。

眠ったように教室に座っていたくない、いつでも 生き生きとしていたい、身体を使い、心を使い現場にいたい・・そんな八星の正直な身体は わたしの「モード」とおんなじかもしれない。

「お父さんの家に行って、バイトをしたい。」八星から言いだした。
人の縁とは面白い。まあるくつながっていて出番を待っている。そんな繋がりの中で子どもは育ってゆく。

八星は小さい時からママっこで、16年 ずっと仲良く暮らしてきたが、
大人になろうとしている今、母から離れて、父のご縁の輪に身を置こうとしている。

「そっか~行っておいで。」

わたしは、八星の可愛かった子ども時代を思い起こしながら
「子育て、大変だったけどなかなかおもしろかったなあ~」と 心の中でつぶやいていた。

長男のアマチは 昨年、高校を卒業して「うさとジャパン」で働きはじめた。

次男は、自分なりにお金を稼いでみたい~そこから自分の世界を営み始めたい~と
「ひきこもり」から 急に脱皮。

急に 子どもがいなくなった!
二人は 確実に 大人の世界に向っている。
八星を駅に降ろして クロネコヤマトでスーツケースも送ってあげて ひとりになった車の中がやけに 寂しい。ところが、その寂しさが抜けて行ったら ふわっと身体がゆるんだ~ああしばし子育て休憩(わらい)~ちょっと、楽になったぞ~。

基本的には 母子家庭で ここまで育ったんだから・・・よくやった~
優しくて頼りがいのある大人になりそうだなぁ~

洗たく機が凍って使えず、山になった洗濯ものを ランドリーで回して 家に帰って 干して
午後、飯田の歯医者へ向った。

そして、温水プールで泳ぎ、買い物をして 帰りは夜になり サラサラの雪が いきなり積もりはじめた。
運転してる車の前方が見えないくらい、しんしんと降り積もる雪に 坂道で車がすべり危うかったけれど、注意しながら やっと無事帰宅。

積もった雪で 車の運転は危ないので 哲生は来ないことになり、
ひとり+猫2匹で夜を過ごす。

庭は サラサラの粉雪が 美しく光っている。

明日の朝は ひとりで雪かきだなあ~

ひとり暮らしの気ままさ。

これまた よし。
by ainohanaMusic | 2012-01-24 01:50 | 心の旅日記 | Comments(0)

阿弥陀の国から♪

ひさびさ、虹のうたブログ更新しました。
新しい歌の紹介です。↓
http://nijinouta.exblog.jp/15304343/

そろそろ、今年の ライブ計画 決めて行きますよ。
3月以降 うたの旅 日本を巡ります。
ああ~再会と 出会い 楽しみだなあ~

まだ、出会ったことのない方も どうぞ、手を挙げてくださいね。

7月頃は 同じ志しを持つ仲間たちと キャラバンもできたらいいな~と思ってます。
by ainohanaMusic | 2012-01-21 12:59 | 心の旅日記 | Comments(0)

弘誓の鎧(ぐぜいのよろい)~願いに導かれる

お経の後に、お坊さんや尼さんが、仏法を分かりやすく説くのが法話。
 その「法話研修」が毎日ありました。

「聞く人、語る人双方の救いになるような話しをしてください」

語る人、聞く人 双方の救いになるような話し・・
これって、本気で自分を掘り下げてゆかないと 不可能。
 「今」の自分をさらけ出して語ると、今まで気がついていなかったことにまで、目がひらかれてゆく。
やわらかい自分のハートの真ん中に触れてゆくと、やばいなあ~泣いちゃうなあ。

そう、そして、わたしは20分の法話を3回させていただきましたが、やっぱり涙が流れたし、たくさんのことに気がついたのでした。

与えられた題目は
「本願(ほんがん)とわたし」でした。
これを話したおかげで 自分の人生の流れを改めて理解し、なぜ、周囲といつも どこか違っていたかも理解しました。

この機会に 改めて わたしを振り返りました。
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(仏式を教えてくれた愚門さん、お上人の息子さんです)


**********************

わたしの本願はこの世に生まれることを決めた理由である願いを自覚して 果たすこと。

その願いは、一人でも多くの魂の家族が 自らの菩提(ほんとうの自分)に気がついて、生きる中で抱えてしまっている業に気づき、懺悔し、ありのままで許されてることに気づき 謙虚に希望を持って大いなる光に帰ってゆくのを助けること。

どうやら わたしは物心ついたときから 元いた調和に満ちた世界の記憶に現実を照らし合わせて、どうしたら 目の前にある不調和を解決してゆけるのか 子どもなりに考えていたように思うのです。
 両親の進歩のない言い争いと、父のコントロールと母の愚痴に 疑問を抱いていて、「一緒にいることで進化できないなら それぞれにふさわしい人と一緒になればいいのに。」と思ったりしていました。

小学校3年くらいになると 24人しかいない 田舎の小学校のクラスが、たった数人の陰湿な暴力と悪口でコントロールされて不健康な状態になってることに気がついて 解決したいと思いました。そんな想いを日記に書くと、学級通信に紹介されて、学級会の議題になり、わたしは困惑しました。
 人をコントロールする マイナスの感情は 「いい悪い」で話し合っても解決してゆけないことを どこかで知っていたのだと思います。その後も、何度か 問題提起になる日記の文章が、学級通信で紹介されて、わたしは みんなに愛されながらも 先生の「お気に入りスパイ」のような 微妙な感じで 他の子どもたちとの間に距離を持ってしまったような気がします。日記に書いたのは 先生が好きで、先生以外には理解できない内容であることを知っていて、分かち合いたいと思っていたのだと思います。だから日記が学級通信に公開されるたびに、説明できない「居心地の悪さ」を感じました。
 そして、卒業間際に 親の影響が強かったと思うのですが わたしにライバル心を持っていた女の子が「無視する会」を組織して、13人のクラスの女の子が一斉に わたしを急に無視するという状況を経験しました。

本能的に学んだのは、自分が感じてる「問題意識」「世の中をよくしたい」という願いを出さない方がいい~ということ。自分の特性を消すことによって身を守ること。中学校、高校は まわりと同化することに エネルギーを使い果たしました。

大学生になって、ほんとうの自分を求めはじめました。
そのとき、聞こえてくるようになったのが「うた」。

煩悩(悩み)にとらわれた自分ではなく、深いところで愛と叡智に満ちた自分がいて そこから届いてくるのが 「うた」でした。

自分の「本願」が 「うた」という形で 定期的に便りをくれるようになりました。
その歌を歌えば歌うほど 自分自身の人生がいい方向へ導かれました。 歌えば歌うほど、わたしの本質を理解する友人と出会えました。

ところが、大学を卒業して とりあえず バイトし暮らしを始めると、
自分の中の生気が少しずつ失われてゆきました。歌ってる内容と、生き方がずれてきたので、エネルギーが循環しなくなったのです。そこでシンプルに その暮らしを持続しながら 信じて岐路を待つことにしました。
「生きてる全ての時間を いつも 自分らしく エネルギーに満ちてる暮らしにするには どうしたらいい?
いつか その道が分かったら 全てを投げ出してでもそちらへ向う。

そして 2年後 やってきた内なる声、 チャレンジが 赤ちゃんの大自然の中で産むこと。
そのために 今まで暮らした日本から離れ、なんの保証もないアメリカへ旅立ち
自然の中での暮らし、いのちがけの出産、ストリートミュージシャンで生きて行く~という チャレンジを超えて
雇われなくても暮らしてゆける 力が身につき、直観力が磨かれました。

そのあと、自分を強力にコントロールする パートナーから離れて 再スタート。小さな子どもがいたので 5年は悩みましたが時期を感じて別々に生きることを選択できて ほんとうに解放されました。

そのころ、お念仏と巡りあいました。
これは 他力の祈りとの出会いでした。
自分の直感と 努力で、10年。
そこに、自分の直感も 一旦手放して 偉大なる光にゆだねてみる 他力の祈りを重ねたら、
縦軸と 横軸のエネルギーがバランスされて ずっと 楽になりました。

「いのちがけ」まで 「究極」まで やらなくても(笑い)生きれる土壌が与えられるような気がします。

そして、巡り合ったパートナーが火事で焼死。彼は、わたしを大切にしてサポートしてくれていましたが、そのこと理解したのは、彼が亡くなってから。家もなくし重度のやけどをおって再スタート。

火事のおかげで、与えられてるものを ありがたく感謝して味わう、「今」に生きるステージに導かれました。

全ては わたしの本願によって導かれて だからこそ、なにがあっても 乗り越えられて次の生き方が より豊かになって行ったことが 不思議で仕方がないですが、事実です。

そして、全ての人が その人の願いによって 人生が導かれ 最終的には 自分自身と出会えるように導かれていることを感じました。

お上人が言いました。
「今回は、有里が還相(げんそう)の菩薩であることを再確認したよ。」

還相菩薩というのは すでに悟った菩薩が 衆生を救うために 願い出て 生まれてくること。

そんな素敵なものじゃないかもしれないけれど、(笑い)
今回 理解できたのは わたしが、まわりのみんなとちがっていたのは、いつでも願いを持っていたこと。現実に埋没してなかったし、それが 当たり前とは思っていなかった。もっと、いい社会、家庭状況を作ることが可能だと 子どものときから どこかで知っていた。

その、周囲の感覚との違いは、自分を孤独にしてるような気がしていたけれど、それこそが 
自分の方向性を示していた。願いによって、いろんなことを感じ 観察し 味わっていたんだな~。

そう、その感じたことを、人に伝えられる「形」として「うた」が 降りて来た。すごいことですね~
それは、わたしが 本気で 「わたしは何のために生まれたのだろう?」と 自問するようになってから やっとやってきた。

わたしは、そのとき社会科の先生になるために 大学に通っていたけれど、
「うた」をうたうと 自分らしいと思えた。理屈を超えて、自分の道は 感じとれるもの。

あんなに下手だったうたが、今は音程を外さずに歌えることだけでも、奇跡だと思う。

願いによって 波乱万丈とも見える人生に導かれ、その体験によって、人の悲しみや苦しみを理解、共感できるようになり、苦難を乗り越えた経験によって、励ましに説得力をもつ人格に育ってきた。

ありがたい。

人の人生に遠回りはない。全ての経験が 生かされて本願がひらいてゆく
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by ainohanaMusic | 2012-01-21 02:36 | 心の旅日記 | Comments(0)

無量寿教~~ 輝かしい帰還

第二回、出家道場の二日目
すっかり寝るつもりで いた講義。ためしに お上人の話してることメモしてみようと
ノートに向ってみた。
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無量寿教は ブッダの弟子 「あなん」が ブッダの教えを書きとったもので ブッダの48の願いが書きとられている。その願いは、全ての人が救われるように、どのように救われるかの約束でもある。願うことがゴール。願いとたどりつけることの約束が 同時に存在するこの48願は、初めて触れたわたしには なにがなんだか、分かりにくいながらも 心にヒットするなにかが あった。

この日は、ちょうど、18願(じゅうはちがん)を上人が説きはじめた。

18願は、念仏往生の願い
念仏を唱えることでいつ、どんなところでも救われる。
心から、誠をもって、信じ願う心で極楽に生まれることを願うことで、極楽往生が約束される。

念仏をしていると 3心(さんじん)がそなわってゆくという。
自分を まっすぐに見つめて 至らない自分をありのままに 謙虚に受けとめて
そのうえで 変わらぬ心で ほんとうの自分を求め
極楽往生を求める

え?極楽往生って なに?と、思い「天国」とか「死ぬこと」を想い浮かべたけれど ちょっと違う・・・ 

それは、悟ること、六道輪廻(苦しんだり 喜んだり あがったり下がったり・・自我が作りだす煩悩に振り回されるカルマの繰り返し)から解放されて調和に 至ること。

これって もしかしてすごい。

南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)というサンスクリット語の真言(しんげん)は、
限りないいのち、大いなる存在に帰依することで
「わたしたちは、大いなるいのちに生かされている 繋がっている命(仏性)なのだ」というところに心を向けるマントラ。マントラとは、神秘的な力を持つ 一種の記憶術。

わたしは、2002年に本應寺の上人と出会い、翌日 誘われるままに念仏会に参加し、
そのとき、お念仏に力があることを体感した。

常識に制約されず自分で感じ、判断し、チャレンジし、結果を受けてゆく 自力の生き方を10年やっていたわたし。
そこに限りないいのち、大いなる存在に帰依する~というマントラで 自分の細胞に 他力の祈りを響かせる。
すると、自分の経験や限られた視野の範囲を超えたアイデアや直観、穏やかさに満ちてゆくことを知った。

そしてまた、今回 上人の話を聞いていると どうやら 死ぬときが今生のゴールと改めて知った。
死ぬ時、解脱して浄土(大いなるいのちの源)へ還ると そう決めたら ほんとうに心は穏やかになる。
つまり、死ぬ時 悟ることは もう決まっている。この一生をかけて「六道輪廻」を卒業する。

言い方を変えると、そこに向っているのだから たどりつくことは決まっている。そこへたどりつくように、ライトタイミングで物事が運ばれてゆく。先の見通しが明るければ 今も明るい。

わたしなりの納得素材は
2006年に 元のパートナーの誠さんが 火事で焼死した時、彼が光に帰って行ったことを体感したこと。
彼が、彼の本質へ還り、自在な働きを始めたことを 見えないけれど体感した。
 死ぬその瞬間まで 失敗や悩みを糧として 成長進化を続け、肉体を離れた瞬間に、最後のハードルを飛び越えた。自分のいのちよりも、愛する人の「いのち」を救おうとする「愛」の確かさが、「死」への怖れを超えた。

「解脱」がゴールなのだから、それはそれは、輝かしい「帰還」だった。

「南無阿弥陀仏」は、さんげの心も、極楽往生を求める心も呼びさまし 最後の時には ちゃんと必要な体験を通行手形として、晴れ晴れと光に還ってゆく、生き方を導いてゆく

なるほど・・

勉強も また 面白い。。
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(最終日の写真。出家道場が終了し、記念撮影をしたら 日輪が出ていました)
by ainohanaMusic | 2012-01-19 16:41 | 心の旅日記 | Comments(0)

眠っても聞いている~ただここにいればいい

朝5時半 起床
6時半~勤行
8時~9時 掃除
9時~11時半 経典 無量寿教の勉強
昼ごはん
1時半~4時 法式(ほっしき) お経の読み方 木魚、きんの鳴らし方etc
4時~5時 法話(ほうわ)の心・語り方 実習
5時~夕べの勤行
7時くらいから 夕食 語らい お風呂
11時頃 就寝
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1月9日、2回目の出家道場が始まって、相変わらず眠いのなんの。
日常の暮らしは わたしがいないと成立しない場面の連続・・なので・・眠くなることがない。
半農半ミュージシャン・・自分の好きな田舎暮らしと学びと音楽の旅が日常。

ところが、受け身になるとトタンに眠くなる。

第1回目の出家道場では、中学、高校時代の 眠さ&退屈と闘った記憶が蘇った。
30歳になって、日本を脱出して カリフォルニアの山で子どもを産み、英語もままならない状態で、ストリートで歌って体当たりで人生を開拓して以来20年、人に雇われることなく音楽活動とヘンプクラフト作家、リトリート企画など 自分の好きなことを遊びながら仕事としてきた。
 
ああ~、学校時代は牢獄のようだった。まわりと違う自分が浮かないようにおしこめて協調するだけで疲れ果てていた~。カリフォルニアでの山の自宅での出産は いのちがけだったけれど、押し殺してきた自分の尊い精神をこの地上に生み出す、まさに「生きるか」「死ぬか」の岐路だったと思う。

内なる声の導きに いのちをかけて
大自然に見守られて 五感をひらき 六感もひらかれ
わたしは うまれなおし
そして、天地も うまれて 八星も うまれ 新しい人生がよちよち歩きで始まった。


夕ご飯から みんなで楽しくお酒など飲み始めると しっかり目が覚めてゆく。
ああ~駄目だこりゃ・・・
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     (お昼御飯の風景)

しかし、なんだか1回目の道場と違う感覚があった。1回目の時は寝ながらも、お上人のお話しが、退屈な話しに聞こえていた。自分は体験を通して「悟る」から「先人の教え」は必要ない~寝てしまうような受け身な時間がもったいないと感じていた。

 ところが、今回は、寝ながらも、語られてる内容が親しげに感じられた。不思議だ。
 「寝ていても なにかが変化しているんだなあ。ただ、ここにいればいい。」
  そう、滋養のある土に太陽の光、雨を受けて 育ってゆく種のような気分。無味乾燥に感じられた中学、高校時代とは違う。

それで、その夜、お酒を飲みながら、そのことをお上人に話した。
「わたし、どうしても お話は寝てしまうし 法式(ほっしき)も覚えられなくて申し訳ないんですが、それが、今の私なので、無理して起きようとか、覚えようとしなくてもいいような気がするんです。寝ていても、なにかが確実に変化しているんです。だから、わたしは、ただここにいればいいんです。」

なんと、寝てしまうことに、理屈を並べて、ずうずうしい話しだが(笑い)、不思議なことに、そう表明したら、翌日から 寝なくなった。
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(愚静庵には猫が3匹、犬が1匹。みんな個性的。この子はソックス ね、白いソックスはいてるみたいでしょ?)
by ainohanaMusic | 2012-01-18 17:45 | 心の旅日記 | Comments(0)

阿弥陀さまの御使いかな? 子猫のチャロン

1月8日から15日まで本應寺の主催する出家道場の2回目に参加、栃木の愚静庵(ぐじょうあん)へ行ってきました。
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本應寺では 例年12月、1月、2月 スタッフや仏道者の育成のために1週間を3回、合わせて3週間の出家道場をひらいています。
 お上人から過去にも何度かお誘いを受けていましたが わたしは念仏愛好家だけど、特定の宗教に属しているつもりはなく、仏教を学ぶ必要性も感じてなかったので参加しなかったのです。また、3か月に3週間を、学びのために家を空け、仕事もお休みするのは非現実的だと感じていました。

 ところが、昨年、「来年は、来ないと駄目だぞ。」とお上人に言われました。そう言われたことに納得がゆかなかったにも関わらず、「観念」したのでした。
 駆け込み寺でもあり、素敵なイベントや道場を行っているユニークな本應寺との関わりを大切にするのであれば、上人が伝えたいことを一度 きちんと受け取る必要がある~「差し出されたものを ありがたく 受け取る」って、シンプルで 当たり前のことですが、経済や自分の好き嫌いを優先せず、縁に応じて自分の時間を投入してゆくって、抵抗感が大きいですねぇ。
 12月の第一回目の出家道場は この「抵抗感=自我」との戦いだったように思います。

 一家の大黒柱が わたし。自営業なので、わたしが働かなければ、家族は危うい。(笑い) でも、その危さは 表層で感じていること。、奥底は揺るぎのなく満ちている。その揺るぎない自分(菩提)を知ることが現実のサイクルを自在に変えてゆく。2回目の今回の出家道場では 自分が何者であるか~その理解が 深まりまり、ゆるぎなさが 表層意識にのぼって来たように思います。

3月からは爆発的に うたうだろうな~。(笑い)深まって 満ちて ひらいてゆく~
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「差し出されたものをうけとる」あんがい、これが難しい。
程度の差はありますが、自分の日常の習慣や繰り返しを維持することに精一杯だと 新しいことを受け取る余裕がない。

さりげに やってきて、目をひらいてくれたのが、子猫のチャロンでした。
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そして 秩父に子猫をもらいに行こう~と次男の八星に 突拍子もない発案をしたのが 12月28日に光に還って行った弥勒(みるく)のbooさん。八星は弥勒のお二人と 秩父へ小旅行して チャロンを連れて帰りました。

不思議な 因縁です。

8月の始めに秩父から やってきたチャロンは、 10月8日、生後3カ月で 光に還りました。
 
聡明で透明な可愛い子猫チャロンは、瞬時に わたしや八星の気配を察知して、いつもそばにいました。まるで異星人のように超人的(超猫的?)に気持ちに寄り添い、可愛い短い鳴き声一撃でハートをトろかしてくれたのです。

10月8日の夕暮れ時、
こたつで ヘンプのアクセサリーを編むことに夢中で 気がついたら夕暮れになっていました。あわてて外に出て、薪置き場に前に停めてあった車を 作業の邪魔にならないように移動。毎日、夕方には八星と二人で薪割りすることを日課としていたので。
 畑や田んぼ、薪のある暮らし、子どもがいて、一家の大黒柱であり、母であり、父であり、恋人もいる(!)わたしは やることが多くて、時間が なにより大切でした。気持ちの切り替え、仕事の切り替えも機敏にやってきて回してきた暮らしでした。

車をとめたら、思いもよらず、チャロンが ふらふらと車の下から出てきてました。
信じられない思いで
車から駆け降りて抱き上げた腕の中、 チャロンは息を引き取りました。

現実を 受け入れがたかった。そして不注意だった自分を心から悔みました・・・こたつで寝ていたチャロンは、わたしが立ちあがった瞬間に、夕暮れの中を わたしと一緒に車まで移動したのに違いない。急いでいて その気配にすら気がつかなかった。

二日後、チャロンは光となって わたしの体に他のたくさんのいのちと一緒に降りてきました。急がず気配を感じとり、たくさんのいのちと共に生きるステージ(段階)が始まりました。

そんなわけで、
「差し出されたものを 受け取る」ことが自ずと始まりました。気配を察して、共にあることを選択する。好き嫌いを超えて 受け取ってみると、受け取ることを長年拒否してきた分野への苦手意識が溶けて そこに 新しい自由が広がってゆくのでした。

みんなで同じことを練習する「儀式的」なものが好きではない わたし
書物から学ぶより 先人の教えより 自分の体験から学びたいわたし

「わたし」が消えても「わたし」は 変わることがない。
ヘンゲする自在な心にゆだねる「練習」。

出家道場2回目 チャロンの話をIさんにシェアしたら彼が、言いました。

「チャロンは阿弥陀様のお使いだったんだね」

「・・・え?」



阿弥陀さまの御使いであり、
また booさん=弥勒の世界と、つなぐものでもあるかな。

ああ、生きてるって不思議。
死ぬって不思議。

「生」と「死」をつなぐ尊いご縁をありがとうございます。
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(booさんのろうけつぞめ・タイトルは一角獣・2011年7月リリースのCD♪帰ろうの裏表紙)
by ainohanaMusic | 2012-01-17 23:33 | 心の旅日記 | Comments(0)

初詣~お餅つき~友人の告別式

ゆっくりと始まったお正月。
初詣は2日の朝、
高烏谷神社の階段をのぼりながら
年末から痛む歯のことしか 考えられない。
それでも、28日に光に還ったbooさん、そして照美さんのことを感じながら過ごしたお正月。
いつも 人気のない静かな山の神社に向い 手を合わせる。

隣で哲生が祝詞をあげると
わたしの中の祈りの世界も自然と動き出した。
いつのころからか自然の中で働く神さまや精霊は うたと踊りが大好きで その本来の働きは 喜びの中にあるのだと感じるようになった。
哲生は、わたしが 人気のない神社や 山道で うたったり踊ったりしても
なにも言わず、そこにいる。時には一緒に身体を動きだしたり 楽しげにしていたりで わたしはわたしのままにいることができる。

今年の祈りは即興の歌と踊りになった。

輪をかいて歩く
それは これから 人と人が心をひらき手をつなぐ その 輪っか。
人と人が手をつなぐと
その真ん中に たくさんのいのち 鳥や草や花々や 水、大地、空気、鉱物、風 さまざまないのちが 息を吹き返す。そして、わたしたち 人類も 息を吹き返す

その絵を感じて踊り、うたった。

「何の歌?」
「即興だよ。今年の祈り。」
「声がよく出てるね。よく響いてる。空気が澄んでいるのかな?」

小さな声でうたったのに 哲生が そんなふうにコメントする。
そんなふうに すぐにコメントするのは めずらしいな。

初詣の後は、わたしは 速攻で保健センターへ。休日当番の歯医者さんに診療していただいて
やっと、耐えがたい痛みから解放された。そして この数ヵ月 歯の痛みと存分につきあったおかげで 歯の治療に関して 自分なりの覚悟と前向きな意識を持つことができた。

3日は、哲生の発案で 餅つき。
彼の家に臼と杵があるので昨年から 始めたが、蒸し器と鍋がなくて(昨年は借りた)今年は
どうしようか~と迷っていたが 結局 やることになった。
午前9時に 八星と一緒に 哲生の家に行った。
餅つき関係は、彼が準備して
わたしは、昼ごはんの準備。
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途中で近所の弥生さんが来て4人になった。
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玄米だったので 苦戦の末、おいしいおもちができました。
今度はロケットストーブを作ろうか~と弥生さんの提案。山には薪はたくさんあるので、ロケットストーブがあれば 煮炊きを 薪ですることが可能。ミニソーラー発電機は先日、設置できて、とりあえず廊下の明りは ソーラー発電でまかなえそう。手づくりの暮らしは持続可能で健全で気持ちが軽やかになる。今年は再び 家の表と裏の小さいながらの田んぼもやることにしました。
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4日は、哲生と二人でbooさんのお通夜と告別式に参加するために横浜へ向かった。
昼12時頃 出発して 着いたのが 7時頃。

わたしは、 正式な告別式に出席したのは1回しかない。
高遠に暮らしていた時、畑を教えてくれた隣人の 守屋さんのお葬式。

昨年、この世を去った母は、遺言どうりお葬式をしなかったが、日々のお念仏で供養した。
5年前に光に還ったパートナーの誠さんの供養は49日ころ、彼の好きなお念仏と音楽葬という形で 400人くらい集ったが 自由な気持ちと表現を持ち寄った「集い」となった。

2日に 黒い服を見つくろい、
3日には 黒い靴とカバンを バタバタと探し
結局、4日出発間際に カバンは 哲生に、
靴は 弥生さんに借りて やっと 喪服らしい姿になって 出発。
4日の夜は斎場に泊まった。
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今回、お通夜と告別式には行けない~と思っていた。わたしと哲生が二人で 2日あけることは なかなか難しい・・日取りを照美さんのブログで見たとき 水曜&木曜で驚いた。哲生に合わせてくれてるような気がして(哲生の休みが 水曜&木曜) 調整し、無理にでも行くことにした。

リトリートのスタッフで活躍していたbooさんと照美さんは、「このようにありたい」と感じた希有な夫婦だった。二人の姿は、ありのままでおかしくって、可愛らしくて 周りを感化する愛とユーモアに溢れていた。夫婦がお互いを心から大切にすることが 世の中を変えてゆける一番大きな力になる~と なぜか 感じてしまう二人だった。

その片割れが光に還って行った。
それって 大変なことだけれど きっと素晴らしいことなのだ。
見えない世界と見えてる世界を つなぎ、
「愛」そのものとして成熟してゆく 自らを満たしてゆく道を二人は それぞれに歩いている。

それは、わたしも通った道でもあり、また みんな  なんらかの形で 歩く道。
この世を去ることの中に込められている「祝福」は、「悲しみ」という過去のトラウマの解放につながる。

5年前 火事でパートナーを失い、たくさん泣いて軽くなったと思ったわたしも、10月に 子猫のチャロンが 亡くなった時 また泣いた~ 愛が深ければ 別れは悲しい。悲しいけれど いのちの形が変わってゆく必然に、祝福があることを ひらいたハートは 感応する。
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告別式では、リトリートで家族のようになったRちゃんの家族や、Nさんと再会。
booの亡くなった姿、照美さんの「死」を支え、「次の世界」へ生み出す母なる姿に、わたしたちは また それを見守り 共に成熟してゆける機会をいただいた。
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ところで、お通夜の夜
そして 告別式の朝 斎場には だれもいない静かな時間があって booさんに うたった。

わたしにとって うたうことは 自然なこと。鳥がさえずるように その「トキ」を内側に感じる。
隣人が亡くなった時も
母が亡くなった時も
わたしはうたい、亡くなった人は 思いがけず 返信を返してくれた。

うたい終えて通路で出会った
哲生が言いました。

「まだ時間があるから もっと、うたっていたら?」
「照美さんも うたいたいと思うから、わたしは もういいよ。」

わたしが自然にうたいだす時 哲生は なにか感じている。
場が変わってゆくとき その気配にも 気がついている。
 
booさんの計らいで わたしたちも 育ち感じあう場が与えられた。

booさんと照美さんが夫婦として輝いたツールは、

どんなときも「今」を 二人で楽しむこと。
どんな些細なことも、気持ちを言葉で伝えあうこと。
どんな日常も、ふたりで支え合うこと。

ありがとう、確かに受け取ったし、実践してゆくよ boo.
by ainohanaMusic | 2012-01-08 00:05 | 心の旅日記 | Comments(0)

新年

新年あけましておめでとうございます。

今年の年明けは なんだか 不思議な感覚に包まれている。

年の暮れ28日に、ここ数年 リトリートのスタッフで活躍していた弥勒(みるく)のbooさんが 癌の末期で
自宅でパートナーに見守られて、光に還って行った。booさんの最期を1秒を惜しんでともに過ごした てるみさんは、まるで あの世に我が子を生みだした「母」のようで慈愛に満ちていてパワフルで、一方、肉体を離れたばかりのbooさんは、ふわふわと雲のように 新しい「状態」を相変わらず子どものような無垢な心で満喫しているようだ。その二人の感覚を わたしは 身近に感じている。

そう、5年前に誠さんを見送った時に感じた感覚を もう一度 体験してるみたいな時間だ。

実は、28日の朝、わたしは パートナーや親しい友人と 横浜へ駆けつけようとしていたが、静けさを求めはじめたbooさんの特別な空気感を てるみさんが伝えてくれたので わたしたちは 長野にとどまり そこから祈りを送っていた。午後5時2分に てるみさんの電話があった。

「今、逝った」
確かな あたたかな 声。

booさん ほんとに、愛して愛されて 無垢で成熟した素敵な存在となって 満ち足りて この世を卒業して行ったね。
「そう・・か・・・おめでとう・・・」

27日には 長男アマチが 京都から帰って来ていた。

彼はバスケット一筋の中高時代を経て 高校卒業するころ、にはファッションへの関心が高まり、服飾関係の専門学校に進むことも考えたが、東京の本應寺に滞在し、バイトをしてお金をためて まずはアメリカへ旅することにした。本應寺に滞在している間に タイの自然服のデザイナーのうさぶろうさんと出会い、京都の「うさとの森」で働くことになった。正式なスタッフになって何ヵ月経つだろうか?
 
27日深夜に帰って来たアマチを車で迎えに行って アマチが充実感をもって仕事をしていること、4月からは、夜は服飾専門学校へ学ぶことになり 楽しみにしていることがわかり安心した。

アマチの予定と わたしの予定を合わせたら、ほとんど一緒にいる時間がない。結局 アマチが家にいたのは 29日の朝と31日の朝くらいだった。(夜は帰りが深夜)。友だちと遊んだり、バスケをしたり 買い物をしたり、その行動範囲も広く、駒ケ根、愛知、長野市、東京。アマチは中学時代から休日をフルに楽しむために友だちみんなに電話をしてアレンジしていた。人を巻き込んで楽しむところは、どこか、わたしにも似てるけど、アマチは わたしよりも 社交的で迷いがない。

なので、わたしが 横浜に行かなかったので 29日のブランチは、かけがえない家族のだんらんの時間だった。booさん、時間をくれたね。ありがとう。

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また、これも急な話だけれど 次男の八星が 再び四国へ行くことを決めた。
12月20日から 約1ヵ月 四国にいる父親を訪ねた。
その間に 庭師と引っ越しのアルバイトを経験して、刺激になったらしい。
「庭師のすごい人がいて、その人について仕事を教えてもらえるかもしれないし、ひきこもっていても仕方がないから 今度はもう少し長くなるかもしれないけど 行ってきたい。」

ああ~良かったね。八星とは生まれてから いつも一緒だったし支え合ってきた。
ツアーの時は留守番で寂しい思いをさせたけれど、それも母子ともに 乗り越えて 成長し暮らしてきた。

15歳くらいから、八星が自分の世界を持ち始め、わたしとの距離を空けるようになっていた。
やっと、お父さんの出番かもしれないね。子どもは 何人かのパーソナリティーや後押し、愛情を必要としていると思う。ちょっと、さびしいけれど、いい感じ。行っておいで。

4日と5日は booさんのお通夜と告別式に参加しに横浜へ行く。
8日から15日は、栃木で開かれる本應寺主催の 出家道場へ行く。

そのあと、八星と高校の先生と会って 本人の希望を伝えて手続きをしてから すぐにでも 旅立ってゆくことになると思う。 

いろんなことが急速に 決まってゆく。

わたしは、年末から 歯が痛くて 1月6日の歯医者の予約の日まで 我慢できるか・・・
痛みをやり過ごす日々。年末年始でも 診てくださる歯医者さんがいればいいけれど・・・

さて、最後に
肉体を旅立ったばかりのbooさんの最後のうた
「ありがとう」
を もういちど紹介しておきます。

彼の癌が発覚したのは8月。
それから5カ月、一日一日を大切に 泣いたり笑ったり 治るか治らないかに執着せず
二人は精一杯 二人で生きた。
亡くなるその瞬間までbooさんは booさんで てるみさんは てるみさんの本質を生きた。
生きることと死ぬこと その輝きは「今」この瞬間を どう生きるかにかかっていると思う。
いつでも 特別な「今」だから、
日常を自分の心に忠実にしていたら、死ぬ時も やっぱり、自分自身であり続けることができる。

booさん てるみさん ありがと ね。

また、ご縁のみなさんへ てるみさんからお知らせは

通夜1月4日18:00~
告別式1月5日10:00~
会場 )北部斎場  駐車場あります。
葬儀社)横浜祭典0120-45-7511


by ainohanaMusic | 2012-01-01 21:48 | 心の旅日記 | Comments(4)