愛の花

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観音道場 『遊里庵』(ゆうりあん)

11日に、東京は本應寺のお上人に誘っていただいて、名古屋へ行きました。
初めてお会いする方々の誕生パーティーで、誕生日の方々に合わせて、お上人が歌詞を書き換えた「生きているそれだけで素晴らしい」の替え歌を、歌ったのです。

「生きているそれだけで素晴らしい」は、2003年4月12日に生まれた歌です。長野は高遠町の過疎の村に移り住んで10日後、隣人が自ら命を絶ちました。とっても素敵な男性で、そこまで追い詰められてるとも気がつかず、信じられない出来事でした。でも、彼とわたしは、共通する気分を感じていたことも確かです。わたしも、彼と同じように、山のような仕事が思うようには、はかどらなくて、心は鬱々としていました。元パートナーと別れ、シングルマザーとしての暮らし、日本の田園での暮らしが、スタートを切ったばかりでしたからね。彼は、海で写真を撮る自由な暮らしから、田舎で家族、役職を引き受けて、自給自足を目指す暮らしを始めて2年目でした。

彼が命を絶った夕方、わたしは学校を休んだ次男の八星と、畑を耕していました。やらなくてはならないことは山ほどあるのに、土を黙々と耕す、そのささやかな営みが幸せそのものであることに突然気がつきました。子どもの心に寄り添う~時間がとられるなあ~と思っていたのに、そうではない。そこに、幸せがある。そして、夜、こどもたちの寝顔をみながら、♪生まれてきてくれてありがとう♪の1番と2番が出来上がったのです。
 そして、翌朝、玄関に崩れるようにして報告に来た孝子。彼が亡くなったことを知りました。

「どうして死んでしまったの。生きていて欲しかったのに。なんにもしてあげられなくて、ごめんね。」と、わたしは泣きました。おきてしまった出来事を、信じたくない、信じられない。でも、事実が目の前にありました。

「まだ有里の歌を聞いたことがなかったから歌ってあげて。」と、気丈な孝子に求められるまま隣家に行き、彼の亡骸に、「歌」を歌いました。泣いてしまっては歌は歌えない。歌い手としての真価の問われる場面でした。その直後、 3番と4番がでてきました。

♪ありがとう。生まれてきて出会えてありがとう。ありがとう。君は君のままで素晴らしい。生まれてきたそれだけで素晴らしい♪

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2年前の夏の断食道場で、『有里、ハッピバースデイの歌だけじゃつまんないから、そのに前なにか 歌ってくれ。』とお上人に頼まれ、『生きているそれだけで素晴らしい』を、お誕生日の方に合わせて歌詞を書き換えて歌ったら、誕生日の方の瞳から涙があふれました。
♪ありがとう。生まれてきてくれて。ありがとう。君は君のままで素晴らしい♪
と、本気で歌われると、誰もが泣いてしまうのです。

お上人は、月に1回のお寺のお誕生日会のたびに、自ら、替え歌を歌っては、たくさんの方を泣かしてこられたようです。
『この歌をうたってあげるとね、みんな泣くんだよ~。』と。

そして、今回は、歌の原作者を~と、わたしは、お誕生日の歌をうたいに名古屋まではるばる出張したのです。(笑)
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とても、いい出会いでした。きっと、これからも名古屋で歌う機会が あるんじゃないかな。

さて、それは置いておいて、その夜は温泉へ1泊し、 その翌日はわたしの家にたどり着き、ゆっくり過ごしました。

そして、次の朝、我が家で、勤行。本應寺で初めて出会った「勤行」を本應寺の住職が我が家に出張して導師をしてくださっている。なんて、ありがたいこと、と思っていたら、お上人 が振り向いて言いました。
『この観音さま(掛け軸)は有里に似ているなあ。この掛け軸は、来るべくして、この家に、来たんだなあ。 この場所の名前を思いついたんだけど。「観音道場 遊里庵(ゆうりあん)」はどうだろうか?」

実はお上人は、今まで わたしの音仲間のバンド名を2回、提案してくださったことがありました。命名してくださろうとする時は、とても嬉しそうな顔をされます。

でも、バンド名は、誠さんの夢に登場した(未来生の)わたしが「サークル・オブ・フレンズ」と伝えてきていたので、そちらにさせていただきました。

そして、今回は、ありがたく命名をいただきました。

観音道場 遊里庵(ゆうりあん)

リトリートを始めて以来、この家で何人の方々と一緒に祈り、闇と光を浴びてきたことでしょう。

また、この家もまた、わたしが引っ越してくる3年前、大家さんのご主人が人身事故を起こしたことを苦にして、自ら命を絶った辛い出来事があったんです。ですから、この家が「観音道場」と名前をいただいたことは素晴らしいですね。隣の孝子の家も「フリーキッズビレッジ」として、役割を果たすことで家が光ってきています。まだお会いしたこともない亡き「ご主人」や「彼」が、今では光になって守護してくれている、闇から光への展開、懐の深さの感じられる家々なのです。

お上人は、自然木で看板を書いてくださると言ってくださっています。
 
そして、「~観音道場 遊里庵の建立展開にあたりて、仏日はるかに照らし~と本應寺の展開祈願の中にちゃ~んと、この家を入れてくださいました。

わたしは、仏教徒でも、キリスト教徒でもなく、はたまたトルース教徒でもありません。わたしは、いったいなにものなのだろう?ひとつひとつのご縁が、わたしを支え、ありのままのわたしでありながら本質で繋がってゆく。ご縁をいただくたびに、ありがたく、大安心の気持ちです。これを、生かされてゆく~と言うのでしょうか。

さて、今週末からは、本應寺主催の「小食道場」に1週間行ってきます。栃木にある愚静庵(ぐじょうあん)という自然の中の道場です。今回は10歳の八星が、『八星も行きたい。』と最少年齢の参加者となり楽しみ。風邪が早く治りますように。

我が家は、ただ今、こどもが二人とも寝込んでおりま~す。
by ainohanaMusic | 2006-02-15 19:31 | 心の旅日記 | Comments(4)

救われて信ぜよ 陰陽霊法との出会い②

11月21日、宮崎で成原先生の「お救い(おすくい)」を受け、そのシンプルで効果的な癒しの手ごたえに魅了され、2月2日から2月8日まで大阪は吹田市樫切山にあるトゥルース本部で行われる研修会を受けてきました。
 陰陽霊法は、2月、5月、8月、11月の1週間を4回、学ぶことで一通りの研修を終え、「お救い(おすくい)」をお仕事として始めることもできるのです。

たった1回の「お救い」で、これは身につけた方がいいと確信したわけですが、体の悪いところがはっきりと分かり、そしてその部分の麻痺状態を、温冷の刺激で解いてゆく。なんてシンプルで、確実なやり方だろう!ずっと体調を崩していたために、健康でなければ、楽しめないこと、身にしみていた。ちょっとした買い物でも、お掃除でも、すぐ疲れてしまう。体をかばいながら歌う時に、心には怖れがあり体も硬くなっているから、その怖れが敏感な人には伝わってしまう。歓談しているときですら何気に声帯を気遣っているわたし。
「歌えなくなったら、どうしよう?いつ完全になおるのだろうか?」

神経系や内臓の疲れと関連して弱っていた声帯を健康にしてゆくには、体全体の免疫力の回復が必要だ。目先のことではなく、体全体の健康回復への道。やっと、健康にまでたどり着ける。よかった。よかった。
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トゥルース教の教祖の奥原基玄師は、明治26年生まれで、昭和47年80歳で亡くなられた。
師は、生来の虚弱体質で「自分の体は現代医学では救われない。」と大自然を対象にした信仰生活に入り、独学で学んだ指圧療法で多くの人を治療するうちに、心身両面での健康の大切さに気づかれ「だれもが自分自身でできる簡単な健康法」の模索研究を続け、昭和5年、22年に三度の霊示を受けられた。
2度目、枕元に立った男神は火をかかげ、女神は水の器を持っていました。3度目は、東の窓、朝の大自然の光の中から、澄んだ声で、「大宇宙陰陽、大宇宙陰陽、心身一如」という言葉を聞きました。その霊示を解くために、診療もお弟子に任せ、患者が日ごとに減っても、親戚の方が来られてもお篭りされ、半年の考案と祈願の末に創案されたのが、温球と冷球のついたご霊器でした。
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さて、今は、このように説明できるけれど、なんの予備知識もないままに1日の夜、10時頃、トゥルース本部に到着。迎えてくれたのは宮崎でお会いして以来の成原先生と一足さきに到着していた誠さん。本部の方々は「お帰りなさい。」とあたたかく迎えてくださった。
5階建てのビルの4階の大きな部屋で女性は雑魚寝。参加者は60名くらいだったかな。起床が6時で、夜10時まで、びっちりと研修が詰まっていました。
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翌朝6時、起床と同時に音楽が鳴り始める。すると みんなもう既にエプロンをつけた姿で、布団をたたみ、班毎に感謝行(掃除)が始まり、初日は面食らってしまいました。二日目からは、みんな朝5時半に起きて身支度を済ませていることが分かり、わたしもそのようにしました。感謝行のあとは、鎮魂(ちんこん)と呼ぶ座禅、講話があって、朝祭(ちょうさい)がある。これは祈りの行。わたしは祈りが好きだし、宇宙の中心に働く大生命力を「総祖宇宙大霊之尊(おおみおやうちゅうたいれいのみこと)」と尊称して信仰の中心にしていることには、異論もないどころか、わたしの中にある祈りと同じ。でも、儀礼的な感じ、古めかしい儀式感覚に馴染みにくかったのです。シンプルで心がこもったものが好き。でも、好き嫌いを越えて、そこに存在している根本的なもの、祈りを行じる生活は、気持ちよかったのです。

そして、8時頃、朝食。9時過ぎから実技の勉強がありました。初回生は13名。経絡の勉強から始まり、霊器の持ち方、なぞり方、温球を絡にあてて、感察してゆく(どこが熱いか)事から始まり、麻痺しているところの麻痺を返す「麻痺返し」のやり方、そして、お救い(治療)に入っていきます。実技は3~4時間の枠が5回。2回生から4回生までの先輩と組んで、交代で実技をしてゆくのを、さらに各地方から来られたベテランの先生がついて指導してくださいました。男女入り混じって、下着1枚の体を3枚の大判のバスタオルでうまく包みながらお互いの体を「お救い」練習。次第にあらわになる肌も気にならないくらいの熱が入って、休憩中も「お救い」談義はいつまでも飽きることはありませんでした。

祈りは夕祭といって夕食前にも30分あり、その他、御霊祭りや教祖祭、祈願祭もあり、儀式的なことが多かったですね。班毎の掃除や集団生活的な決まりごとも、わたしは苦手なはずなのに、集団の一人として個性を手放して、溶け込むことができたことは不思議。

ちょっとした休憩に親しみを感じる繋がりもできました。オペラを習っているというお姉さんのような高水さん。屈託ののない笑顔とほんとうに大らかな優しさが大好きになりました。彼女が、わたしの声帯を気遣って、声帯の健康を保つための「お救い」の図を書いてくださったことがきっかけになって、5日から連続3夜、30年~40年のベテランの大先生に「お救い」をしていただくことができました。研修会の間は、「お救い」を受けることは表向きには禁じられているのですが、高水さんのおかげで、「わたしは、なんのためにここに来たのだろう?」ということを改めて思い出すことができて、チャンスを受け取る積極的な心の準備ができたのです。
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 ベテランの八木先生、成原先生、福井先生にお救いをしていただいて、体もぐっと楽になりました。1回、1回、確実に健康を取り戻していくのです。一人ひとりの先生が、ご霊器を扱うときに、霊器を通して働く陰陽の力は、自己を超えたもの「宇宙の中心の生命力」から働いてくるということを感知することができました。福井先生はトルゥース教会の理事長。喉頭癌で声帯を無くされたにもかかわらず、食道気管を使って、しゃべる技術を体得したすごい方です。大きな声は出ず、搾り出すような一言一言が、優しくて愛がこもっていて、感謝しています。みな、それぞれに違う。でも、同じなのは「大霊」に委ねているということ。霊力をいただいて、「お救い」をしているということ。

初回生は「入信の動機」、先輩は「実践清話」を、みなさんの前で話す時間がありました。また、班毎に「法座」と言って、「陰陽霊法」とのご縁を語り合う場がありました。
 学びに来られた人のほとんどは、自分自身か家族が病んで「陰陽霊法」で救われた「奇跡」を体験していました。現代医学でも東洋医学でも治らなかった難病が、治り驚嘆感謝し、今ではご縁の方々を一生懸命、「お救い」している方々の話は、聞いていて涙が出ました。自分では到底治せない、知識も無い病気の方を目の前にしても「治してあげてください」という願いをこめて「お救い」してゆく。未知な領域、未経験の領域に、「菩薩」として働くことに専心してゆくようなのです。


「お救い」の前には必ずお祈りをします。「真理妙法霊力無量寿光 南無帰一宇宙大霊之尊」を3回、「南無大霊」を5回、自分が治すのではない、「おかげ」をいただくだけ。ノイローゼやうつ病も治ってゆくのです。すごいことですね。

さて、思いもかけないご縁も始まりそうです。
それは、わたしの本業である「歌い手」としてのご縁です。

10月8日は、トルゥース教立教55周年の大祭があるのです。トルゥース教では、今までプロの音楽家によるコンサートは企画したことがなかったそうなのですが、55周年にはコンサートをやりたいという意向が会った時、今回の出会い。わたしは、今回、珍しく1回も歌いませんでしたが、噂だけをたよりに、コンサートのお話を持ってこられた八木先生にCDはお渡ししました。彼はまだ聞かれていません。忙しすぎて。でも、八木先生は、確信し、決めているみたいですね。まるで、わたしがトルゥース教のことを一切知らないのに、信頼して、飛び込んできた時のように。
「バンド全員で演奏してくれよ。300人は集まるからな。」と。

そして、わたしも そうなるであろうことを感じています。

不思議な出会い。すべてがまるく整ってゆく。

10月7日、大阪にバンドのメンバーが揃いそうです。岩手からウッドベースのでんちゃん、東京からピアノのシーナ、兵庫県尼崎市からシタールの田中峰彦さん、そして長野からわたしと、誠さん。PAは、ディー・エム・エスの桑田さんをお願いするつもりです。
前夜祭コンサートの後、8日と9日が日曜日、祝日です。どなたか吉本有里withサークル・オブ・フレンズのコンサートをこのチャンスに企画しませんか?駒は揃っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。合掌
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by ainohanaMusic | 2006-02-10 19:11 | 心の旅日記 | Comments(0)

最悪の日は最良の日 「陰陽霊法」との出会い①

昨年末、「1年を通して、一番良かったことはなんだったかなあ?」と、ふと振り返ったことがありました。
 一番心深く、愛を受け取った日。

心によみがえったその一日は、意外なことに一番辛かった日でもあったのです。

2005年11月20日。コンサートで歌えなかった日。

その日は、九州でのコンサートツアーの3日目。朝、小倉で目を覚ましたら、喉がひりひり痛みました。前夜、家族のように親しい助産婦さんの金子さんの企画してくれたコンサートの終了後温泉に浸かり、海の幸とお酒のおいしい素敵なバーへ飲みに行きました。彼女の新しい恋人の接待でご馳走していただいた夜があけて、思いがけず痛み始めた喉に、不安な気持ちで電車に乗りました。
 電車の中で「絶対に治る」と信じて、誠さんのヒーリング(手当て)を受けたにも関わらず、宮崎に着くころには、歌声はおろか、しゃべる声までガラガラになってしまっていたのです。

無力感。

「わたしは、歌を通じてお役に立ちたいと願っているし、この道は間違っていないと思う。それなのに、肝心な時に声が出ない。自分で治すこともできないし、祈っても奇跡もおきない。でも、あきらめてはいない。ただ、ベストを尽くせばいい。何故、今、声が出なくなったのか、理解できてないけれど、今、起きてることが一番いいのだよね。何故なのか、どうなるのか、わからないけれど、一番いいようになる。いつだってそうだった。一番いいようになってゆく。それは信じていよう。」

迎えに来てくれたライブの主催者、ののちゃんは、わたしの声を聞いて、動揺しました。
「有里さん、どうする?中止する?」

「大丈夫。歌えなくても、出会えるよ。歌は手段で、コンサートの動機は、人生の本質に目覚めるために ほんとのことをシェア(分かち合う)しあうことだから、歌わないコンサートをするよ。大丈夫、ちゃんとやれるから、安心してね。」

急なことで、コンサートが始まるその瞬間まで、2時間のコンサートで、なにをするのか自分でも分かりませんでした。ただ、歌えなくても出会える、原点に戻って「心と心の出会いのコンサートをする」とギターの誠さんに伝えてありました。

結局、お話とバイオリンとギターのアンサンブル、そして2曲をわたしの変わりに誠さんに歌ってもらいました。

そして、残った方とのシェアリング。
「あの歌声が聞きたかったなあ。でも、仕方ないよ。スーパーマンじゃないんだから。」
その、言葉が 胸に響きました。「そうだよね、わたしスーパーマンじゃないんだよね。」って、当たり前のこと、受けとった気がします。

また、歌わないコンサートでは、「心配しないでありのまま生きればいいんだ。形じゃない心だね。」ということが、ちゃあんと伝わっていた。そして、最後に わたしがシェアして
「今日は、歌えないわたしでした。ほんとは、歌いたかった。」と言葉にしたとたん、涙がこぼれ落ち、「でも、歌えなくても、わたしでした。ありがとうございました。」となんとか思いをそのまま、口にした時、どーんと胸にあったかいものが流れ込んできました。

「わ、なんだろ?このあったかいもの。」

それは、輪を囲んでた20人くらいの人たちからの「愛」だったのか、わたしを守護する大いなるものからの「愛」だったのか?あったかい、なにかが確かに流れ込んできた祝福された夜だったのです。

一番深く、愛を受け取った日。それは、歌えなかった日。

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そして、翌日、ののちゃんの急なアイデアで「陰陽霊法」という治療を受けることになりました。
実は、次のコンサート地の鹿児島で、昼食を一緒にする約束があったのですが、しゃべることも困難なときに、約束より優先するのは、やはり体。そのあと、最終日の長崎まで5回もコンサートが控えていました。

足を切断することになっていた人が、最後の希望を託して「陰陽霊法」を受けに来て、帰りは歩いて帰ったとか、癌の人が治ったとか、奇跡のような事実が口コミで広がって予約で満杯の成原先生の治療室に、座ることもしんどかったので寝かせてもらい、1時間の「お救い(おすくい)」の時間を取っていただくことができました。
※陰陽霊法は治療ではなく宇宙の大生命力が働くよう陰陽霊器をあてることで生体の持つ自然治癒力を復活、増進させてゆく皮膚刺激健康法だということです。

その1時間ほどの間に、「目からうろこ」の事実がわかりました。
陰陽霊器というあたたかい球と冷たい球が交互に、体をなでてゆくとき、そのあたたかさが、灼熱の熱さに感じてしまうところが体中にありました。その場所が、自分の体の異常な箇所だったのですね。私の場合は、すい臓、肝臓、腎臓、胃、胆のう、秘蔵、生殖器、肺、気管支、神経系など。熱い場所を温球で丹念にさすり、冷やし、あたためとやっていると平常の温度に感じられるようになります。麻痺した状態が解消されて整ったというとになるんですね。そして、自然治癒力が復活してゆく。

わたしの体は、思い返せば、カリフォルニアに暮らしていた頃、いやそれ以前から異様に疲れ易かったように思うのです。それでも、自力で自然出産し、思うままに生きてきた。この数年などは、日本内だけではなく海外をサバイバル的に旅して、家では子ども達の世話、畑を耕し、リトリートも企画し、コンサートもレコーディングもコーデュネイトから演奏、実務、長距離運転まで自分でやっています。過密なスケジュールを乗り越えてきたけれど、体はついて来れなかった。気持ちひとつでやってきたところがある。だからこそ、「スーパーマンじゃないんだから。」という言葉がやけに響いたんですね。

体をいたわらなきゃ。自分が健康になってゆくこと。それは、周囲にも健康を伝えてゆくということですね。たった1時間の出会いで、陰陽霊法のすごさ、癒しの力の確実さを感得して、研修をうけることに決めました。

それでね、さっそく陰陽霊気を購入し送っていただいたのだけれど、「入信願い」という書類や、ご念誦とか、祈りの本とか みおしえの歌などという本まで 送られてきました。
「え?宗教団体なの?わたし陰陽零法を学びたいだけで、入信するつもりないんだけどなあ。」と、戸惑い。

警戒、疑いだしたらきりがない。細かいことは気にするのはや~めた。

信頼。自分の直感を信じてみる。カリフォルニアでも、たくさんの教会で歌った。キリスト教のことをなにも知らず、自然にご縁のつながる教会で自作の歌を礼拝の間にお仕事として、歌わせていただいた。ご縁が深まった教会は「サイエンスオブマインド」と「ユニティ」という教会。いずれも、聖書からではなく、司祭自身が暮らしや心の中の出来事に気づきを細やかにシェアするのが講話で、いかに目覚めて生きるかを学び合ってゆくセイクレッドなサークルで、素敵な友だちがたくさんできました。

日本では、今、浄土宗の本應寺とご縁が深まっています。おかげさまで、「思惑を超えた偉大なる光に委ねる」ということ、自分の力で生きているのではなく、委ねたところでベストを尽くし、ベストを尽くして委ねる~ということが身について、不安がなくなってきています。お上人からは、「おまえは真面目すぎるなあ~。真剣は2割、遊びが8割でいいんだよ。」とアドバイスされておりますが。風流なお上人です。明日はそのお上人と名古屋で待ち合わせ。念仏会&誕生会で歌い、温泉旅館にみなさんと行く予定。ゆっくりしよ~っと。

ご縁というのは、突然現われるのではなく、既につながってるもの同士が、前世で再会し、また繋がり直してゆく感じがします。

というわけで、2月2日から1週間研修会に参加して昨夜帰ってきました。
こんな集団生活は初めてだったかも?最後には亡くなって55年経つ「教え親様」を祭る「教祖祭」まであり、おもちつきとか、模擬店までやりました。d0024504_14371271.jpgすごい1週間でした。もちろん、しっかり学んできましたよ。わたしの体質も変わるような気がしています。疲れ易い体質から解放される予感。今も、少し、すっきりしているのですよ。(続く)
by ainohanaMusic | 2006-02-10 14:51 | 心の旅日記 | Comments(0)