愛の花

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春の野原で会いましょう

「春の野原で会いましょう」
吉本有里コンサート

歌、バイオリン、ギター、そしてお話、おもてなし

柔らかな水彩絵の具で描かれた文字とイラスト、 草原で撮ったケーキや紅茶の写真と11月のライブの写真がきれいに並んだ 直ちゃんの描いたチラシ

「あのね、生きてることが 歌なんだよ」

直ちゃんにかかると なんでも まあるく心のこもった なおちゃん流にくるまれて 安心させられる。
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4月25日は鳥取は智頭町の友人しょうちゃん 直ちゃんの自宅でコンサートだった。
金曜日 平日の昼間(午後2時半)からだというのに 2時前から お客さんが集まりだして
その中には 子どもに学校を休ませ、夫も仕事を休んで参加したという家族が二組も いらっしゃった。そんなにまで 楽しみに時間を作ってきてくださるのは 呼びかける直ちゃんの発信する波動に 「これは、のがしては おしいぞ。」とでも思わせる なにかがあるんではないか?と あたりまえの暮らしに心をこめる 彼女のあり方に いつも感心させられる。
 
みどりちゃんの運転で早く到着できて、わたしたちは 音響や展示も設営
直ちゃんはおもてなし料理にかかり、しょうちゃんは、わたしたちの泊まる離れを整えたり、
ライブが終わり、みなさんが帰られるまでは、それほどユックリ話をする空気にはならない。
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今回、コンサートも コンサート後の自己紹介サークルも 深くて ほんとうによかったのだが、
一番 良かったのは 翌日 出発前に 直ちゃんと涙を溢れるままに 語り合った2時間だった。

直ちゃんとの出会いは 2001~2年の頃で、まだ 元パートナーとデュオで歌っていた。
直ちゃんもしょうちゃんも わたしたち家族のことを愛してくれて 二人が別れた後も 元パートナのコンサートと、わたしのコンサートの主催を両方 続けている。

わたしの人生は 元パートナーのおかげで 大きく展開し感謝しているが、普段は あえて言葉にはしないが 彼に対する感じ方は辛口だ。聞かれると、当然 ありのままを言葉にしてしまう。

わたしは、彼のあり方を肯定できなかったので、彼とすべてを共有していた自分自身を肯定できなくなった。 いろんな生き方が あるのだから他者であるのなら 自分自身を傷つけることにならない。一人で歩き始め、その後、誠さんとの出会いと別れがあった。

わたしは、元パートナーに対して無関心ではない。彼の人生が 全うしてゆくように わたしなりの祈りと関わりを距離をもって 続けている。その「ほんとうに思うところ」が わたし自身の愛なのだ。事実を事実として忘れずに胸の中に収めて その上で 関わっている。それには「愛の力」が必要だと思う。いつかは、すべての人と なんのわだかまりもなく溶け合えるまで根気と粘りと聡明さをもって。。

なんだか、わからない話を書いてしまったけれど、わたしと元パートナーの両者との関わりを大切にしてくれてる 直ちゃんと、「ほんとうに感じてること」を分かち合って 涙が後から後から 流れていった。

そして、直ちゃんの中の 「もやもや」も きれいに溶けていった~これから、気持ちよく 元パートナーともわたしともつながってゆけるよ~と、高知市に届いた洗濯物の忘れ物に手焼きのカンパーニュの差し入れに、あたたかい手紙が添えてありました。
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さて、話が前後しますが、
直ちゃんの野原の家で 初めて「シェアリング」らしい時間をもつことが できました。

実は 準備の段階で 直ちゃんは
「そういう深いことって 誰にでも話せるわけではなくて 自分を理解できる人にしか話したくないよね。」と疑問を出されたのです。

抵抗があるのなら、無理させたくなかったので
「じゃあ、ハートの石をまわして 自己紹介にしようか?」

というところで 落ち着いていたのだけれど。。。

「でも、一応聞くけど、シェアリングってなに?」
と、直ちゃんが あらためて聞いてくれていたので 直ちゃんの中に準備が整ったのでしょう。 
自己紹介サークルだったのに 結局 内容的には深いシェアリングになったのです。深いことを話すことは特別ではなく 深いも浅いもなく 自分を感じられるような出会いの輪を 人はいつだって どこかで求めている。ただその機会を 提供したい~そんな わたしの気持ちが どこかで伝わったのかな~と思いました。

シェアリングは とてもシンプル。
一人ひとりが ただ 感じてることを 説明ではなく感じるままにあらわし、聞き手は 頭で判断せずに 判断を手放して ただ聞くことに専念する。

自分を感じて 感じたままを話す人と
話し手を あるがままに感じて 聞くことに専念する人

*********

今回、思いがけず良かったのは、輪に入らないで 囲炉裏で 二人でお酒を飲んでいた、地元のおじさんが 最後は輪に入って それぞれの人生の中で 重要な出来事を みなさんと分かち合ってくださったことでした。

一人のおじさんは、涙溢れるままに語った後 わたしに聞きました。

「有里さんは、こんなこと小さいことだと 思うでしょう?正直どう思ってるか聞きたいな~」と。

わたしは、その方が話すことで喚起された八星の火事の後 半年してからの 突然の不登校の話をしました。火事、そして誠さんの死、わたしの両手の火傷、家財もなにもなくなった半年、八星が 学校でどのくらい孤独な思いに耐えていたのか~、その結果としての不登校と、彼や学校とのやりとりが、まざまざと思い出され、涙が溢れました。

人生におきる荒波には 大きい小さいはなく 比較もできない。
誰かが ひとつの障害を越えようとするとき流す涙は、他者が経験した痛みを喚起させ お互いの人生は無縁でないことを 心の奥底にきざんでゆく。孤独ではないという気づきが、どのくらいわたしたちに勇気と、やさしさを与えてくれていることか。

酔っ払った ふたりのおじさんが涙ながらに分かち合い、私を含めた みんなの心に「ひとつの心」を喚起させたのは 予定外の出来事でした。

直ちゃん曰く
「しらふでは恥ずかしくて話せないけど、話したいのよ。」

直ちゃんとしょうちゃんの家で また ひとつのあたたかい輪が結べたこと感謝しています。
by ainohanaMusic | 2008-05-11 15:23 | 心の旅日記 | Comments(0)