愛の花

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光になった誠さん

こんにちわ。
しばらくご無沙汰していました。

みなさんも きっとご存知のことと思いますが、12月6日の夜、わたしの自宅である遊里庵が火事で全焼しました。火事発見とほぼ同時に、わたしは煙の充満する2階で眠っていたはずの長男を助けに走り、そのまま長男と二人で2階から飛び降りて逃げ、両手に深い火傷を負い救急車で病院へ入院。現在は、自主退院して、友人宅(フリーキッズビレッジ)で療養中です。現在も主治医には皮膚移植手術を勧められていますが、友人たちに助けられながら、時間はかかるけれど自然な回復を促す自宅療養を選択しています。

そして、ほんとうに残念なことに、誠さんは、その夜、光の世界の住人となってしまいました。

彼が、逃げ遅れるとは思いもよりませんでした。でも、あの瞬間、わたしは息子の存在を思い出し、2階に駆け上がり2階から飛び降りた瞬間には、119番をするために、よろめきながらもまっしぐらに隣のフリーキッズビレッジに導かれたように、彼には彼への導きがあったのでしょう。
 
「火事だ。」とわたしを呼びに来た 昨年のクリスマスにプレゼントのレンガ色のセーターを着た懐かしい、いつものあの姿。あの直後、「今生の勤めがすべて終了しましたよ。」と仏に招かれるなんて本人も知らなかったでしょう。命というもの、命あって共に過ごせる時間が、いかに貴重であったか。彼がそばにいる間、その貴重さを自覚していなかった自分を深く悔いています。
 
おきてしまったことはすべて仏の計らいとして、肯定的に受け取る訓練のできているわたしも、さすがに今回の突然の別れは なかなか受け入れがたく、まだまだ毎日、さまざまな感情を味わわい涙が流れます。ほんとうにこまめに わたしの日常に存在してくれた彼が、今は、目には見えない光となって、近くで見守ってくれている。それでも、やっぱり、「生きていて欲しかった。」と涙してしまう。このところわたしは自分に、「前向きに。」「前向きに。」と言い聞かせています。

誠さんも、きっと、そう言ってくれているんだろうな~。

わたしが、今いるプロセスは、誠さんの魂との出会いなおしのようです。

肉体を離れた誠さんは、肉体の制限の中でつまづき、葛藤していた姿を超えて、彼の魂の大きさ、やさしさ、献身的な祈りといさぎのよい自己犠牲的精神を、わたしに見せてくれています。

彼が、わたしと出会う以前にリリースしていた8枚のオリジナルアルバム。火傷治療をしながら、繰り返し繰り返し聞きました。皮肉なことに、彼が旅立って初めて、彼の歌を聞きたいと思い、 胸の真ん中で受け取ることができたのです。彼は、すでにもう、わたしと切り離せるものではなく、わたしの中の一部であり、すべてとして溶けてゆきます。

彼の20代~50代の心の軌跡を音楽から受け取りました。そして2003年出会ってから、共に製作したCDを、今、やっと聞く段階に入って、彼が、自分の表現をすべて手放して、この3年半わたしのサポートに専念していった、そのいさぎよさと献身的な心のあり方に、涙があふれます。わたしは、わたしで誠さんの心の軌跡を、わたしの中に流れこむままに、今、受け取り、一人でありながら一人ではない、二人の人生が統合したひとつの道を あるいてゆく 心の準備をしています。

光の世界に旅立つ4ヶ月前、
「なぜ、いつもわたしのそばにいるの?」と、わたしは質問したことがありました。

「どう考えても、外からどう見られようとも、君をサポートしたい、ただそれしか答えは、出てこないんだ。愛してる。僕はそのために生まれてきたみたいだよ。」
と、答えてくれていました。

涙が出るくらい、胸に沁みる答えだったのに、日常にまぎれて その彼の純粋な思いを忘れていました。ごめんなさい。

「有里、愛の歌、光につながる歌をうたってね。それが僕らの願いだったから。」
「有里、みんなのためにうたって。」

光になった誠さんのメッセージが、なんにんもの友人を媒介に、今、わたしに届いています。

そして、彼が 夢から書き起こして、まだアルバムになっていない製作途中だったCD2枚分の歌たち。二人で構想を練り、すでに始まっていたレコーディング。音源も機材も燃えて、ゼロからのやりなおし。でも、また始めなくちゃね。

楽器もない、機材もない、誠さんもいない。でも、わたしは、生きている。きっとできるはずだよね。

みなさん、手伝ってくださいね。

*********
火事のその日から、わたしは ほんとうにたくさんの友人たちに、毎日毎日 支えられて、ここまで来ています。
 
まずは「孝子、119番して。」と駆け込んだフリーキッズビレッジが、その後の消火活動から、全焼した家の片付けを引き受けてくれていました。そのときの様子、その後の流れは、孝子がフリーキッズビレッジのブログに書いてくれています。http://freekids.exblog.jp/m2006-12-01/#4744053恐ろしい火事と対面し、消火に勤め、誠さんが発見されるまでの焦燥感を味わったのは彼女。その後の処理を全面的に引き受けた孝子。彼女と、出会えていたことに感謝し、現在もフリーキッズビレッジに滞在させてもらいながら、彼女から学ぶものは大きいです。
 
その夜、事情聴取に来られた警察の方から 誠さんの訃報を受け取った時、火傷の痛みに苦しみながらもわたしが、まずしたかったのは、東京は本應寺のお上人への電話でした。一刻も早く、誠さんを供養して欲しい。。。。。でも、点滴と呼吸器につながれ、両手は動かず、携帯電話はもちろんすべてを焼失し、集中治療室で一人寝かされていましたから、なすすべもなかったのです。
 
でも、その夜、孝子が電話してくれていました。翌朝、お上人たちが東京から現場に駆けつけて下さり、供養念仏、仮通夜、火事の後片付けまで フリーキッズビレッジのみんなや、手伝いに来てくれた友人たちと、やってくださっていました。

そして、病院にも 翌日から たくさんの友人たち、妹、父が遠方から駆けつけてくれました。すべてを焼失したわたしに、衣類や見舞金が届き始めました。

そして、東京では友人たちが「救援ブログ」を立ち上げ、義援金、救援物資が届き始めました。

ほんとに身近な友人から 、また、あったこともない方たちから、ささやかなカンパから、ほんとうに思い切らないと出せない高額のカンパまで。現在その額は100万円を超えました。

ほんとうに ありがとうございます。
まだ、手が良く使えないので、礼状も出せていませんが、ここでお礼を伝えさせてください。
手が使えるようになったら こどもたちと始めてゆく 新しい暮らしの資金にさせていただきます。

また、新しい場所での暮らしが始まる頃、必要な物資を具体的に書きたいと思っています。
楽器や、音響、録音機材の購入、CDの再リリースなどにも、かなり資金が要りそうなので、譲っていただけるものはリユースでまかなっていけたら いいなあ~と思っているのです。楽器、機材なども、ご縁があればリユースで始めてみてもいいかなあ~と思っています。

また、焼失してしまった、誠さんと一緒に製作した4種類、数千枚のアルバムを 再リリースするために友人が具体的に動き始めてくれました。経費がかからないようにと、誠さんが数社の印刷会社とCD印刷、デザイナー、たくさんの人たちとコンタクトして製作していたCD。再リリースするにも、いろんな手続きが要るのですね。わたしが復帰できる頃までに友人の助けでCDの再リリースも、きっと実現できると思います。ほんとにありがとう。

そしてまた、両手が動かないので、お風呂の介助から洗濯、車の運転など引き受けてくれるためにフリーキッズビレッジに通ってくれている友人がいます。また、たくさんの友人が入れ替わりで、遠方から身の回りのお世話に来てくださり、火傷の治療に関しても、いろいろ調べては、情報を伝えてくれています。ありがとう。お世話になりっぱなしだね。

ところで、火傷の深さは「3」くらいで、手術しないでなおす人は少ないようですが、まだ医師としては民間医療を受け入れながら見てくださる先生とは出会えていません。どなたか、いい先生がおられたら教えてくださいね。

*****
わたしとこどもたちは、27日から実家の焼津に帰っています。1月4日から長野のフリーキッズビレッジに戻ります。

また、誠さんの念仏供養のために12日頃から 東京に出ます。
14日に、東京は下高井戸の本應寺で、念仏供養と追悼コンサートがあります。

今朝、ふと思ったのは、そのとき、やっぱりバイオリンが弾きたいな~。
包帯ぐるぐる巻きの手なのですが、神経までやられていないので短時間なら、動きます。チャレンジしてみる価値はあります。

そのとき、貸してくださるバイオリンをお持ちの方は、よかったらご連絡くださいね。
(12日の夜に本應寺に持ってきてくださるとありがたいです)

とりあえず、不十分ですが、近況をお知らせしました。

今回、誠さんの急な旅たちで、まだお会いしたことのなかった誠さんの家族の方々とも初めて お会いしています。誠さんを悼む みなさんと出会い 誠さんの存在をより深く 胸にうけとり みなさんと一緒に これからの道を歩かせていただきたいです。

ありがとう。

未熟なわたしですが、これからも よろしくお願いいたします。
by ainohanaMusic | 2006-12-29 17:29 | 心の旅日記 | Comments(3)
Commented by kazesan at 2006-12-30 11:12 x
光になった友とひとつになる有里さんへ
痛ましい災難に遭い、愛する人を失うという人生でも最大の峠を越えながら、それでもかんながらの道を歩こうとしている。そんな気高い有里さんを想像しながら、すべてが仏様の手のひらの上で繰り広げられていることなのだと、ぼくも徐々にではありますが感じられるようになってきました。ありがとう。先日お上人たちと唱えた南無阿弥陀仏がぼくの口癖にもなりました。人の理解を越えたところへと誘ってくれるマントラの力が世界へ広がるといいなと思います。有里さんの一日も早いご回復をお祈りしています。でもゆっくりとね。
Commented by 有里 at 2006-12-30 12:14 x
kazesan
ありがとう。

今日も朝から南無阿弥陀仏を唱えました。

昨日も夕方、苦しくなり、唱えました。

目に見えない世界にいる彼。

目に見えない絆を実感したいわたし。

わたしという小さな器を ひとまわりもふたまわりも大きくして、安心の世界に身をおきたい。

涙をこぼさずに歩けるようになるのは、いつかな?

kazesanも、ゆっくりね。
Commented by chico at 2007-01-02 02:24 x
ゆりさん、いっぱい話したい事があるよ。少しずつね。火傷の事は、詳しくないけれど十月頃にね、ほのかがアイロンで手に火傷をしてね、毎日包帯をかえに行った病院の先生たちとても優しいよ。
とくなが病院という病院です。兵庫の大きい病院や神戸の開業医の先生、吉川先生というおじいちゃん先生や息子さん先生など外科、内科、眼科、整形など広い分野の病院です。しってる看護婦さんも何人かいますが。なんか気になったんで。  
とくなが病院 たつの市神岡町東觜崎字鎌田473-5
院長:徳永金清  副院長:人位晃 看護部長:岩田ちつ゛る
電話:0791-65-2232 fax:0791-65-2235
一月四日から通常診療行います。ゆりさん、神様から頂いた、大事な手ゆっくり直して下さい。 きっと大事なものみつけるよ。またね。