愛の花

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本を書き始めました

2002年、カリフォルニアから日本に帰国してすぐに出版社から自叙伝の出版の話がありました。
子どもたちが、6歳と8歳で、シングルマザーになったばかり。音楽活動と畑と子育てで手いっぱいだったので、そこまでエネルギーが回せず延期して早15年。やっと書けそうなタイミングが来ているような気がします。

書き始めた原稿を、フェイスブックで紹介しています。もう⑩まで 出しましたよ。
ブログでも紹介しますね。どこまで 公開するかは、まだ決めていないのですが、最初のいくつかの章は公開して みなさんの感想を聞きつつ進めたいです。

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【フェイスブックに書いた記事より】

やっと 15年越しで 再び書き始めたよ。
「歌うように生き、生きるようにうたう」
~吉本有里という生き方~①

とても地道で、不器用な生き方から、歌声が育まれてきた。声はずっと変化し どんどんとうめいになってゆく。

...

途中で止まってしまわないように、
原稿をフェイスブックに公開しながら、

完成までの道を歩こうと思い
第一章を公開してみますね。

一章は、すでに書いたブログの文章の大幅手直しです。


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うたうように生き、生きるようにうたう  吉本有里という生き方

うたう人生の始まり

うたう人生の始まり・・・満開の桜の木の下で踊った吉本有里という生き方①

中学校の社会科の先生になることを目指して進学した大学。

父親が教職で、身近で会ったことと、中学の国語の先生が明るくチャーミングな方で、大人になったらあんなふうになりたいと憧れました。知ってる職業の中では自分を生かせるかな?と決めた道でした。

親元離れて2年目。真面目に通っていたある日、教室に入るとエネルギーが落ちる自分を自覚しました。

思わず、教室に入って出て、入って出て、を繰り返し自分のエネルギーの上がり下がりを調べてみたのです。
 
あ~教室そのものが、わたしに合っていない!・・・・・教職に就くのは、わたしには合わないかも?といきなり!!・・・・・・確信してしまった瞬間でした。実際、困った~、と思いました。無難にのっかてるこのベルトコンベアーから降りて、いったいどこにわたしがわたしらしく生きて、暮らしてゆける道があるのだろう?

わたしの母は、学生時代から結婚するまで、アナウンサーやお芝居などに才能を発揮し、社交的で魅力のあるクリエイティブな女性でしたが、結核を患い長期入院で結婚を諦め、作家の道を志したらしいのです。しかし、母の親友が自分の婚約者の親友(父)と合うのでは?
ひらめき、お見舞いに連れてきて策略的お見合いで、二人はまんまと恋におちて、結婚した後は主婦になりました。

そんな母の口癖は、「女性でも仕事を持たないと、いけないのよ。そうしないと家庭の中でも、発言権がなくなるのよ。」
頑固で融通の利かない父に守られながらも、自分の思いや直観が通らず生かせないことがずいぶんストレスだったのでは?と思います。

それで、無意識に、仕事を持つことを、わたしは始めから決めていました。

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人生の方向性が急にわからなくなってしまい、大学へ行かず、やることがないので、とりあえず、朝は、公園で走りました。広い公園を木々の肌をたたきながら「おはよう!」と挨拶をして走り、木の下で体操をして、太極拳をしてアパートへ帰りました。

夕方には大学新聞を作るサークルに足が向きました。そこには、憧れていた人がいて、自分の興味を追求できる場所でもありました。その人は、強烈な個性の持ち主で、嫌いと好きが混じって惹きつけられていました。そんな人は後にも先にも彼だけです。その彼がある日、唐突な提案をしてきました。

「有里、Oさんの結成したバンドに、女性ボーカルが必要なんだって!!行ってこいよ。」

 彼は、0さんを敬愛していたのです。なにも分からず、指示されるままに行ってみました。彼の言葉は、わたしには強い影響力がありました。

わたしは、生でロックを聞いたこともなく、すざまじい大音量にびっくりしました。そこでうたうのはムリ。でも、彼らの表現が、半端なかったのです。社会的なメッセージをシリアスに、時にはコミカルに、言いたい放題、音に乗せて自由にシャウトして、生きのいい魚みたい(笑)、楽しそうでした。こんな表現方法があったんだと、目がひらかれた思いでした。

吸い寄せられるように、練習に出かけ、自分の声は聞こえないので、バイオリンだったらどうだろう?と、バイオリンを持ってゆきました。バイオリンも音が聞こえず、マイクに通してもうっすら聞こえる程度。ではどうしたらいいだろう?調べて、ピックアップマイクを買い、とりつけて、弓をたたきつけるように激しく弾き、その解放感が、病みつきに。バンドのみんなも、バイオリンとヘンテコ女の子がバンドに参入したことを歓迎してくれたようでした。

3つの違う大学から集まってくるバンドの仲間と、わたしを入れて4人。何度も徹夜で練習。既成概念を外したアレンジが出来上がり、共同創作の楽しさを知り、自主ライブが始まり、エネルギーの渦の中で、草の根の様々なイベントで演奏するようになりました。

大学は、試験だけ受けに行きました。親に仕送りしてもらっていて、次の目標もないのにやめるわけにもいかない。出席日数が足りなくなり単位を落とし、留年する悪夢もよく見ました。今でもその夢を見るくらいです。人生のベルトコンベアから落っこちそう、先の見えない不安な日々に、でも、ほんとにやりたいことだけをやったのです。
 
公園を走り、太極拳をして、ロックバンドの喧騒のなかで思い切りバイオリンをかきならし、大学新聞にも関わっていました。
 子どものころから、環境を破壊してゆく現代文明に疑問を感じていたので、玄米とかコミューンに関心が向き、大学の新聞会の一員として、南の島のコミューンに一人で、取材に出かけて記事を書き、エコロジカルな生き方をしている人たちと出会い始めました。

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 (写真 大学時代のバンドで イベントに出演中)


by ainohanaMusic | 2017-07-27 23:41 | | Comments(0)