愛の花

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後藤健二さんのこと

後藤健二さんとはるなさんの最初の動画が配信されたとき、わたしは たまたま docomoの解約のために テレビの放映されている場所にいた。(わたしは19歳で家を出てから ずっとテレビのない暮らしをしている)

以来、ずっと わたしの心の中には 健二さんが存在している。恐怖に囚われていない 毅然とした顔に なにかを感じて 脳裏から離れなくなり、事件の成り行きと共に健二さんの魂に起きている出来事(真実)を 感じようとしていた。

健二さんのホームページの文章もツイッターの言葉も まっすぐに響いてきた。

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」(健二さんのツイッターより)

戦争に行くことの意味(健二さんのブログより)

日に日に、彼の在り方が理解されて 肉体を離れてしまっても 今 とても身近に感じている。※情報のとうりの実際殺されているかどうかは ほんとうのことは 確信できないけれど← いくらでも 嘘の出来事を映像で作れる時代だから・

まず、彼が情報どうり 殺されてしまったとしても そのことは 健二さんにとっての悲劇ではないということが 今朝、雪道を散歩してる時 ふと 確信されて ほっと心が安らいだ。

思い出したのは 撮影中に遭遇した熊に殺されたカメラマンの星野道夫さん。
なぜ、自然を愛し、くまを愛した星野さんが 熊に殺されたのだろう?と 当時 わたしは 今のように そこにある真実を感じようと心を向けていたと思う。

そして、星野さんは 恐怖ではなく その必然を瞬間受け入れて 光の世界に旅立ったのだと腑に落ちた。自分を死に至らしめる「お使い」は、縁に応じて必然なのだと感じた。野生の動物が 捕食されるとき ぎりぎりまで逃げるが 食べられる時は 食べる相手を 全面的に受け入れ、愛に満ちた目をする。つまり、怒りや悲しみではなく 自分を食べる相手の一部となる自然の摂理に従う。

健二さんは、与えられた時間の中で 家族への愛、アラブの人々への愛、日本への愛、自分自身への愛、自分とみんなの カルマを 光にまで高めてゆく 一歩一歩 内面を見つめる作業を していたように思う。

健二さんの文章の中で、危険な場面に飛び出して撮影するシーンがある。そのとき、とっさに みんなにお別れをしたことへの罪悪感を書いているが 真実を生きていると 同時に 内面をしっかり見て進化の道をあるく繊細な人だと感じだ。

生きるか死ぬかの保証のない場面に飛び出してゆくとき 人は覚悟するものだ。
また同時に 生きるか死ぬかの保証のない場所へ飛び出すには わけがある。
それが 自分に与えられた「道」だから「魂」の指示に瞬時に従えてしまう。 
そして 同時に生きるか死ぬかは、「人」が決めることではない。それこそ、神さまの領域。

ああ~生きて出会いたい人だったな~
ひょっこっと生きていて 奇想天外な物語を語ってくれるといいな~とも思う。

ただ、生きる死ぬが一番大事なことではなく
生きている貴重な時間に 魂が 進化して目覚めることができれば それが 一番の祝福だと思うので 
健二さんは 今生の目的は果たしただろうと 確信して やっと心が 穏やかになれたのです。

見えるもののかげに隠れる見えない光を感じ続けて♪(月の光・・わたしのうたの一節より)

わたしの家には 猫エイズと猫白血病のキャリアで 病気が進行中の「ライカ」がいます。

症状としては 口に炎症ができて おなかはすくけど 食べると苦しみが訪れる。同じ病気で「スピカ」が 1年闘病して 光になり、そのあとを 「ライカ」が 毎日を 痛みを乗り越えて生きている。最初 スピカに その症状が現れた時、「食べることが一番好きなスピカが 食べたいけど食べたら痛いなんて、なんて ひどい病気だろう・・」と思って苦しかった。けれど、その痛みとつきあいながら1年生きて 痛みは増してるはずなのに スピカのまなざしが深い穏やかさと 感謝(愛)をたたえるようになった。

表面に見えることと 深いところで起きてる出来事は 相反している。
苦しみのそこでは、変わらぬ愛と感謝が 育ち 急速な進化が起きていた。

このごろは
『痛いけど大丈夫だよ~ 大好きだよ ライカ」と 痛いことを変わらない事実として受け入れて・・そのうえで痛み止めを処方し、ささやかな和んだ時間を 笑いながら 創意工夫した 柔らかな食べ物をあげています。治らない病気だけど 生きてる幸せと、進化してゆく 幸せを分かち合い、そのうちに 目覚めのような穏やかなとき(死)を迎えるのだと安心している。

わたしたちの暮らしの中に これからどんなことが起きてゆくんだろう?

 起きてゆくことすべてを愛して 光になってゆく道を 歩いているんだな~と今朝感じました。
健二さんのあの落ち着いた毅然とした姿は わたしの心から消えることはないと思います。 

どんな危ない場所や状況でも おだやかになれること 誰もが愛すべき存在であること いのちの尊さは どこも(誰も)同じであること・・・自分が殺されるときも(ほんとに殺されたとしても)相手を恨まないし、恐怖におののいていないことを わが身で伝えてくれたことに 感謝したいと思っています。


「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」
by ainohanaMusic | 2015-02-04 15:09 | 心の旅日記 | Comments(0)