2月26日 ゆっくりと目覚め えりちゃんも かずくんもそれぞれに忙しいので 久しぶりに台所に立つ。近所のおばちゃんからいただいたという 花の咲きかけたブロッコリとかずくんの育てたジャガイモ、トウガラシ、大根、二人のお手製の味噌と梅干、島で買った豆腐。炒め物と、味噌汁、大根の梅干し和えサラダを作る。素材を大切にしている二人のおうちで あるものを無駄にせずおいしく料理して食べることに わたしも参加できて楽しかった。
味噌が味噌樽から冷蔵庫に補充してなかったり、お米が補充してなかったり・・えりちゃんは 3か月 沖縄にアトピーの療養に行って不在で、帰宅直後のコンサートの主催・・・、療養後の体でもあり、いろいろが重なってサクサクとは動けない。かずくんとしては えりちゃんの不在中 一人でがんばったという思いと、やっと帰ってきたのだから家事をサクサクやってほしいという思いと、仕事の忙しさで参っている状況が混ざっているのだろう・・・えりちゃんは まだ体調が整わないから かずくんに、今は、労わってほしい、コンサートもできれば手伝ってほしいという想いがあって、二人が相互に発信しする言葉はずれていたが 二人とも がんばって譲らず、 わたしとえりちゃんが 食べてる時に、かずくんは 台所の掃除と、味噌の詰め替えを始めて 同じテーブルに 同じタイミングでは、座らなかったが、この日は 3人でコンサートを一緒に作り、想いがひとつになった素敵な一日になった。
ブランチを食べた後、えりちゃんと「よっこ渓谷」へ行った。水はさすがに、冷たかった。足をつけたら 泳ぎたくなった。好きなんだなあ~水にひたること・・・でも、バスタオルもなにも持ってないので、泳いだら浄化され気持ちよくなるか、体が冷え切って 具合が悪くなるか・・・ここは結果が不明だ(わらい) 安全をとって・・「今度また来るからね~」と川や岩に挨拶をした。美しい自然に癒された。そのあと、かずくんとえりちゃんと3人で コンサートの支度をして 温泉に寄ってから、コンサート会場 喫茶樹林へ。
樹林では、オーナーのみんなが会場を美しくしつらえてくれていた。また 音響のかたやんが この日もばっちり設営から調整、ミキシングもしてくれた。かずくんは 自家栽培の無農薬の野菜を出店していて、わたしは一番乗りで「しょうが」を買った。長野に帰ったら、八星と一緒に 「しょうがはちみつ湯」を飲もっと!
樹林のおいしいかれーをいただいてから コンサートの始まり。
島の若い歌い手である「みかちゃん」が 前座で数曲歌ってくれた。海の波の妖精のようで、子どもたちが後ろから 前に座席を移動して集まってきた。
コンサートの途中 激しい雨の音がうたに混じってきた。自然の真っただ中で歌っている感じがしたな~。
コンサートのあとは、シェアリング。二日続けて参加している えりちゃんの友人の話に「助けなくっちゃ!」 と危機感と、初めて出会ったとは思えない親近感を感じていた。二日続けてコンサートに参加&手伝ってくれた彼女は、純粋な正義感から 地域で孤立し、考えられない危機的な状況に陥っていた。3人で彼女を気遣い、コンサート後の深夜に 小さな子どもがいて 深夜は動けない友人の話を聞きに彼女の家に行くことになった。最後の夜だった。深夜2時まで話を聞いた。
危機に陥った魂の姉妹を助けに今回は 屋久島に来たような気がしでもた。 コンサートや島の自然の美しさを味わい堪能したと同時に、島の地域社会の中で ほんとうのことを言い、変革してゆくことは とても難しいことを改めて認識した。彼女は、震災以前から原発の危険性を感じて 放射能の学習会を主催していた。勇敢にも 地域社会や学校の中で、そのことに一人で取り組んでいた純粋な友人に出会ったことが わたしは とてもうれしいし、彼女の置かれている状況から 今の日本の学校や 地域社会で 体制とは違った意見を言うことの難しさを 改めて知った。
でも、もちろん、大丈夫 きっと なにか道がひらくはず。
伝わるところへ 伝わる方法で 自らの豊かさと共に 新しい世界をひらいてゆくことが大切だと思った。
えりちゃん、かずくんが翌朝、港まで送ってくれて 高速船が見えなくなるまで 手を振ってくれていた。
わたしと えりちゃん、Tちゃんが、屋久島最後の夜 心を寄せ合い、きずなを深めたことが 希望のような気がする。
人は ひとりでは生きてゆけない。
純粋な想いを支えてゆく 純粋なつながりと新しい発想が 地球と共に生きようとする 今は少数のみんなの細やかな波動を そのままで生かしてくれるような気がします。