愛の花

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静岡の4日間  父と娘

20日の午後2時くらい、ようやく準備も整い、ひと泳ぎしてから 駒ヶ根インターから高速で 焼津の実家に向かう。スポーツクラブを出るときに、到着時間を知らせるために、父に電話を入れた。

家にいると言っていたのに、出ない・・寝ているのかな?82歳で ひとり暮らしなので 不安を感じて 諦めずに電話を鳴らし続けたら、しばらくして 出た。

「どうしたの?」
「日曜日から右足が腫れて 動けないもんだから・・歩くと痛むから 寝ている・・」

父の寝ている部屋と 電話のおいてある居間は隣り合って 数メートルも離れていないのに、電話に出られないなんて 大事(おおごと)だ、と緊張した。

「今、どこ?」と 父が聞く。
父から 質問が出てくることは、めずらしい。早く来てほしいんだな~と感じた。

「まだ、長野だよ。4時間後には着くからね。」
心配で念仏を称えながら 車を走らせる。

父は ここ10年、たまに 下血と 足が腫れてくる症状が出て、そのときは、ひたすら 断食と 寝ることで症状が治めているらしい。

実家に帰って 這ってトイレに行ってる父の状況を見て、危機感を感じた。
わたしが 実家にいられる時間は限られているので なんとか しなくちゃと 強く感じた。

①「お父さん、一度病院に行こうか。どこが 悪いか分かれば 治療をうけないにしても(父は西洋医学を信用していない)家庭でどうしたらいいか、わかるし 家で治すにしても 介護サポートが受けられるよ。」

②「お父さんが、病院に行きたくないことは わかった。だけど、もう80過ぎてるんだから、日常を安心して暮らせるように、お弁当を届けてもらうとか、買い物介助とか、ヘルパーさんを頼もうか?」

③「お父さん、病院もヘルパーさんも いやなら 友人を時々お仕事で 来てもらえるように話してみようか?」

わたしの提案は
父にとっては 「非現実的」であり 「ゆり子の一歩的な主張」
ということで 父の感情を害したが、それでも話してよかったと思う。

父は、大学教授で 知識がとても豊富で
ひとつひとつの話がとても長い。

わたしの提案に対しての返答は それぞれに 優雅で長かった。余裕あるなあ~それとも現実を受け入れていないのか?父は 父独自のリアリティーの中で 生きていた。

①病院の治療を信頼していないことはもとより、診察結果が信用できない事象の話
②介護保険制度が よくない理由 始まりのころの様々な立場からの思惑を見聞した話
③身の回りのことを 人にやってもらうこと・・つまり女中制度の始まりの歴史

わたしは、何度も 父の話をさえぎった。ゆっくり聞いている時間がない。ご飯も作ってあげたいし、掃除もしたい、いる間に できるだけのことをしたい。

「お父さん、今 この瞬間の話をしているんだよ。お父さん 今 歩けないでしょ?痛いでしょ?月曜日まではわたしが ここにいて 身の回りのことを手伝えるけど、そのあとは一人なんだよ。 困るでしょ・・」

ところが、「もうすぐよくなる」
それが 父の絶対的 唯一の リアリティーであり、信念のようで、

そこを侵害されることは 父にとっては 勝手な思い込みと おしつけで、人の気持ちを理解しない非現実的な主張と感じられるようだった。

時間は限られていて、ゆっくり話をしている場合ではなかったのでわたしは 話をしながら、
テルミー(温熱自然療法) 薬草の煙で 父の足と背中を温めたり、アロマをつけたり、できるだけの手当をして、お料理をして父に食べてもらい、お掃除をしたり、ネットで父の症状の原因と治療法を調べたり、妹に電話したり・・

21日から3日間 ワークショップと コンサート
帰宅は 深夜・・

でも 限られた時間で 父の身の回りのことを整え、手当した。
父は わたしがなにをしても、しなくても意に介していないようだった。
父は、わたしを歓迎してくれていて、わたしを気遣っていてくれていた。

ほんとうに頑固な父だ。

幼いころの わたしは父を尊敬しながら怖がっていた。ほんとに大変だったなあ~

24日月曜日 市役所によって、一人暮らしの父の状況を介護保険課に 相談してから長野へ帰ろうと思っていた。

朝、父に 一言
「お父さん、ヘルパーさん頼まなくてもいいけど、いざというときに どんな援助が得られるのか 市役所に聞いてから帰るね。」

すると 父が
「ゆり子、ここに来なさい。一言言っておきたいことがある。」と厳しい声で呼んだ。

そうだ・・幼いころ父から、呼ばれた時は 自分が悪いことをした覚えがないのに

「反省するまで ここに立ってなさい。」と言い渡されて
と家の外で 暗くなるまで 立たされたんだった・・・

「自分の主張を人に押し付けるのは よしなさい。」

父の 家族への説教は 相手をつぶしてしまう。どんなに悪いことをしているか 反論の余地もなく 徹底的に叱責する。お父さんも おじいちゃんにこんな風に徹底的に叱られてたんだろうな・・わたしも子どもたちに 「くどい」と言われるから この傾向を引き継いでいるのかな?

わたしは、話をさえぎり
「おとうさんは 小さいころから わたしのことを 馬鹿だと言って 育ててきたよね。まわりの友だちは そんなふうに 馬鹿だとか 言われて育っていなかったよ。わたしは 自分が馬鹿ではないと 気がつくのに とても時間がかかったよ。今も おとうさんの体と暮らしのことを心配しているだけで できるだけ助けたいと思っているだけだよ」

涙が出た。

「ゆり子は 分かっていない。子どもを愛している親は、子どもを馬鹿だと言ってかわいがるものだ。」

父の言葉にも 怒りではない感情が含まれていた。自分の想いを理解されていないという傷ついた感情のようなもの・・

ほんとうに 話したいことを話せるチャンスが やってきた。

「お父さん、死んだら終わりだって思っている?

死んだ後にも 魂は 存在して 魂の旅は ずっと続くんだと思う。」

「もし、魂が永遠ならば、生きている間 たとえ 思うように 体が機能しなくなっても それは、悪いことってわけではないよね。心の進化はもっと大切じゃないかな?人に やってもらうこと。助けてもらうことを受け入れることで感謝が生まれ、心の器が広がれば、その経験から得たものが、 魂があの世にも持って行ける大切な進化だと思うよ。」

父は 
二日目と同じことを再び言った。

「僕が ゆり子を育てているのであって、ゆり子が 僕を育てているんじゃない。」

立場をわきまえなさい・・ということだろうけれど、

わたしは、わたしであり続けることが 父への愛だと思う。
かつてのように 委縮して、父の前では 殻をかぶってしまう自分を乗り越えて、今は わたしは わたしのままで 父に対面している。

父に育てられた 馬鹿な娘は 馬鹿娘という呪文を自ら解いて いつのまにか 成熟した。

一緒にいられる時間は 限られているのだから、こうしたやりとりも 老後の暮らし見通すことも とても たいせつなこと。

父の言っていたように幸いに、帰る日には 父の足の腫れがひいてきていた。


でも、人の手助けをうけないと暮らしてゆけないときも 来るかもしれない。
帰りに、気を取り直して予定通り、市役所に寄って 介護保険について、正確な情報を受け取ることができた。

なにかの時には 迅速に 動こうと思うが、なにも してあげられない時(タイミング)もあるかもしれない
父が たいへんな状況で ひとりで暮らし続けたとしても 
それは、不幸ではなく 父の選んだ人生なのだと思う。

ただ、人は いくつになっても成長進化するものだから
父が 安心して人に心をひらき委ねられる喜び大きい 暮らし方に転じる日も来るかもしれない。
そんなお父さんを 見たら ワタシ うれしいだろうな
by ainohanaMusic | 2013-06-26 15:20 | 心の旅日記 | Comments(0)