昨夜、10歳になる八星を抱きしめて眠った。
ツアーから戻って、3日しか家にいないお母さん。
それなのにアマチも八星も ほんとにのびやかに安心して暮らしている。
アマチを朝からバスケットのコートまで車で送り、1時間半後にピックアップ。八星はその間、隣に遊びに行き、鼻歌を歌いながら、昼ごはんには、戻ってきた。
わたしは、といえば、いろいろとやることに追われている。
まず、秋のリトリートの申し込み者が、いったい何人に達したのか書き出し、募集締め切りを決め、来年のスケジュールまで決める。
その一方、10月3日の調布のコンサートでは、1年に1回、わたしの手製のヘンプアクセサリーを買うことを楽しみにしている精神障害を乗り越え働くみんなの顔が浮かぶので、彼女たちに似合いそうなネックレスを編み、買い易い値段をつけた。
アマチと八星は、わたしのいない間に、将棋を覚えた。
「ママ、将棋やらない?」
と誘ってくれるアマチ。
「ママは、今日は時間ないし、アマチも明日テストじゃなかった?」
午後には、アマチも勉強を始め。
みんなが静かに やることに集中していた。
****
さて、眠る時、
八星が言った。
「アメリカに行きたいなあ~。
行ったら、なつかしすぎて切なくなっちゃうかもなあ~。」
「アメリカも変わっているかなあ。
家の横の大きな樫の木、まだあるかなあ~。」
八星が生まれて育ったのは、人がすまないカリフォリルニアの山の頂近くの静かな草原だった。
わたしとアマチ、八星は、毎日、同じ山に沈みゆく広大な毎日違う夕焼けを見た。
「きれいだね~。ほんとにきれいだね~。」
わたしとアマチ、八星は、山を1時間かけて車で降りた小さな町の小さなファーマーズマーケットで土曜日を過ごした。
わたしは、マーケットに歌を届けるミュージシャンとして。
アマチと八星は、マーケットで販売されているおいしい、手作りパンや果物を好きなだけ食べながら、芝生の上で遊んだ。たくさんの友人が わたしたちに声をかける。
わたしは歌い、おしゃべりし、買い物する。
帰る頃には、バイオリンケースの中は充分なミュージックドネーションで一杯。
帰りには家族で、湖で泳いでから山の我が家へ戻る。
家路に着くのは、もう星が見えるころ。
満天の星空に感動しながら、急な坂道を楽器と買い物の荷物にふらつきながら帰宅。車の音で出迎えてくれた犬や猫たち。
彼らのことが気がかりでアメリカに最後に行ったのが2002年の12月。動物たちのことも、家のこともその時のパートナーが、引き受けることになり、その後はどうなっているのか~タッチしていない。
*****
なつかしすぎて切なくなる~わたしたちの原体験の場所に来年は、子どもたちと行こうかな。かつてそこに存在した、家族はもう今はない。きっと、かつての家族の生活の記憶が迫り、父と母が分かれてしまった現実が きっと 彼らには一番切ないということに気がつくだろう。
変化していくことは、切ないけれど 新しく生まれなおしてゆくことでもある。
生きることの本質を 彼らに伝えてゆくことが わたしのできることだと思う。