愛の花

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帰って来ました!仏の名

親しくしている本應寺のお上人に誘われて参加した「出家道場」。

最初の1週間は、経典の勉強や儀式の練習(お経の読み方や木魚のたたき方、歩き方)などが窮屈で眠くて、「わたしは 尼にはならないから 時間がもったいない。」と どうやって逃げ出すかばかり考えていた。なんと、この出家道場は、12月、1月、2月 とそれぞれ1週間づつ、それを2回やって終了、つまり1週間を3回×2年=6週間で終了という長丁場で、忙しいわたしには、初回の1週間の体験で十分だと想った。

ところが、1週間目の終わりに、仏教の神髄がしみ込んできて、それはこの宇宙の「法」であり、真実であり、自分自身を知ることであると腑に落ちて、1月の2回目に参加。仏教を学ぶことが自分自身を深めることで、ひとつの形を学ぶことは、それに属することではなく自由になること、地に足を着けることだと気がついて、3回目が楽しみになった。

そして今回、3週間目の道場は、お寺の事情で急きょ場所は栃木の愚静庵(ぐじょうあん)ではなく、東京の本應寺での開催となり、法式(ほっしき)を学ぶのに法衣を着て本堂を歩いたり、お通夜にも参列して、亡くなった方や遺族へ朗々とお経を唄い祈るお上人や尼さんたちの本気に心打たれた。
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「出家」とは 尼になることではなく、生きる土俵が変わること。相対的な六道輪廻の世界から、絶対感覚を伴った「極楽感覚」へ。
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 そして、相対感覚で苦しむ人たちも、生きる目的を「解脱(悟り)」、自己成長、自分自身と向き合い 自分が減ったり傷ついたりするものではなく限りなく尊く無限な存在だと認識できるようになると 深い海のようになにがあっても 基本は揺るぎがなく 本質を理解して行動できるようになる。
 生きていれば、すべてのことは諸行無常。うつりゆく世界で、変わらないもの「菩提」を見出してゆく喜び。
最終日の2月11日、無量寿経の48願を学び終えたとき、感動というのか 人間ひとりひとりにかけられている宇宙の願い(阿弥陀の願い)に 心が安堵した。

わたしには、幼いころから、ずっと元々いた世界の記憶があった。生まれてくる前にいた世界はどこなのか、わからないけれど 愛に満ちていてお互いを心から慈しみあい調和していたように思う。幼いころ、両親のいさかいや、学校での陰湿ないじめなどを見て、こどもなりに、解決方法を考えていた。起きてることに落胆するより、その状況を変えたいと願ったし、人間の可能性を知っていた。
 大人になってからは、美しい星空を見るたびに、故郷へ帰りたい~という里ごころが湧いたが、この地上を 愛に満ちた星にすることが 生まれてきた理由だと どこかで感じていた。
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そして、今回仏教を学んで3000年以上昔、そうした願い~すべての人が救われますように~に人生を捧げた人がいること、その願いがこもった言葉(マントラ)が、南無阿弥陀仏であることに 驚いた。


御釈迦様の生まれる前、時の彼方、宝蔵菩薩という方がおられて、
この方はある国の王だったのですが、せ自在王仏という素晴らしい仏さまに出会って
「自分も仏になりたい。そしてすべての人を苦しみから救いたい。」というい大きな願いを持ちました。

そのために48の願いをたてて、その願いが全て叶わなければ自分は仏にならないと誓いをたてて長い修行に入られました。長い長い時が流れ、48の願いは全て叶えられ、宝蔵菩薩は阿弥陀如来という仏さまになられました。

その後、時が流れ 御釈迦さまも出家し修行の末に悟りを得て、「法(真実)」を説き、その法の中に 48願が伝えられている。

南無阿弥陀仏という7つの音に 48の願いが込められている。その48の願いは 人が煩悩に振り回されて幸せになったかと思うと不幸のどん底に落ちる六道輪廻から 解放される目覚めへの道案内が届くようデザインされている。どうしたら、みんなが幸せになれるのだろう?その答え、48の解脱への鍵が、音の中に込められたのは 時の彼方に 宝蔵菩薩が誓い、願いを建て、聞き届けられ阿弥陀如来になったから。

言葉では伝えられない途方もない「悟り」が、「南無阿弥陀仏」を唱える人の状態に合わせて起動してゆく。
「すべての人を救いたい」という願いが、「どこでも だれでも」唱えられる「御名(みな)」に結集した。「名前を呼ばれたら救いに行く」
確かに お念仏は すごいと体感していたけれど、そんな由来があったのか。
南無阿弥陀仏は サンスクリット語で、
「思惑を超えた偉大な光にお任せする」という意味でもあります。

お上人が3週間かけて説いてくれた48願、ありがたく受けとり、また感じ方が深まったたように思います。

48の願いの中には、仏教を知らずとも経験していることがたくさんあります。
たとえば、2番目の願は、不更悪趣(ふこうあくしゅ)の願で、永遠の光に出会ったものは二度と地獄のような苦しみには戻らないという願い~そう、わたしの場合は、全ての出来事は自分への最高のプレゼントと知ってから、傍目に不幸に見えても、自分では不幸とは感じていないのです。「極楽感覚」ってこういう感じなのかな?

出来事をありのままに味わうと、ギフトと感じられる。成長してゆくこと、あるいは成長をサポートすることに集中できていると思う。

1月24日に パートナーの家が火事で全焼し、彼が わたしの家で暮らし始めたばかりだけれど、なんの不安もなく、差しさわりもなく 道場に参加したら、
 「火事の連絡があった時は、有里は 道場に参加できないかも?って思ったんだけど、有里はさすが 動じてないね。」とお上人に言われて 驚いたくらいです。 「てっちゃんもわたしも元気ですよ。ほんとうの自分をやり直すいいチャンスだと二人とも思っていて同じ思いでいられることがうれしいです。」」

今回の道場が2年目のTさんの受戒式が2月10日にあり、その夜は、手巻き寿司パーティーと ミニライブ。満ち足りた1週間でした。伝えてくれた師匠、品愚上人、スタッフや学んだ仲間たち、かけがえのない時間をありがとう。
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2月11日に長野に帰宅。
そして12日は山梨の韮崎市藤井町の生涯文化フェスティバルに出演しました。
同行して手伝ってくれた哲生、山梨の仲間たち5人、みんなの協力で、これまた満ち足りた一日でした。
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2年前、山梨のクラフトフェアで歌を聞いてくださった公民館主事の守屋さんが素晴らしい司会進行をされ、
藤井町のさまざまな方が 踊りや音楽を大きな舞台で披露されていて、町民のよき交流、刺激の場となっていました。
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2012年2月12日
今年の仕事始め。
出家道場で 世間の垢(この世的な見方)を洗い流し浄土の光に満ち足りて 出発。
この世を去ったら、もちろん光り輝く故郷へ帰ってゆくけれど、そんな故郷を この世でも一日一日暮らしてゆこう。

計らわず、素直に 本来の自分を生きてゆけばいい。

唄いますよ~今年は

愛を込めて
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次のライブは 2月26日(日) 地元は長野伊那市の自然食レストラン ル・ムートンブランで
午後2時半開場 3時開演です。遠くから来られる方は 宿泊 ご相談ください。遊里庵にお泊まりできます。
泊まられたら せっかくなので、翌朝、一緒に勤行しましょう。習いたての 法式(ほっしき)披露しなきゃ。(笑い)
by ainohanaMusic | 2012-02-16 15:36 | 心の旅日記 | Comments(0)