愛の花

ainohanam.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

無量寿教~~ 輝かしい帰還

第二回、出家道場の二日目
すっかり寝るつもりで いた講義。ためしに お上人の話してることメモしてみようと
ノートに向ってみた。
d0024504_22101655.jpg

無量寿教は ブッダの弟子 「あなん」が ブッダの教えを書きとったもので ブッダの48の願いが書きとられている。その願いは、全ての人が救われるように、どのように救われるかの約束でもある。願うことがゴール。願いとたどりつけることの約束が 同時に存在するこの48願は、初めて触れたわたしには なにがなんだか、分かりにくいながらも 心にヒットするなにかが あった。

この日は、ちょうど、18願(じゅうはちがん)を上人が説きはじめた。

18願は、念仏往生の願い
念仏を唱えることでいつ、どんなところでも救われる。
心から、誠をもって、信じ願う心で極楽に生まれることを願うことで、極楽往生が約束される。

念仏をしていると 3心(さんじん)がそなわってゆくという。
自分を まっすぐに見つめて 至らない自分をありのままに 謙虚に受けとめて
そのうえで 変わらぬ心で ほんとうの自分を求め
極楽往生を求める

え?極楽往生って なに?と、思い「天国」とか「死ぬこと」を想い浮かべたけれど ちょっと違う・・・ 

それは、悟ること、六道輪廻(苦しんだり 喜んだり あがったり下がったり・・自我が作りだす煩悩に振り回されるカルマの繰り返し)から解放されて調和に 至ること。

これって もしかしてすごい。

南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)というサンスクリット語の真言(しんげん)は、
限りないいのち、大いなる存在に帰依することで
「わたしたちは、大いなるいのちに生かされている 繋がっている命(仏性)なのだ」というところに心を向けるマントラ。マントラとは、神秘的な力を持つ 一種の記憶術。

わたしは、2002年に本應寺の上人と出会い、翌日 誘われるままに念仏会に参加し、
そのとき、お念仏に力があることを体感した。

常識に制約されず自分で感じ、判断し、チャレンジし、結果を受けてゆく 自力の生き方を10年やっていたわたし。
そこに限りないいのち、大いなる存在に帰依する~というマントラで 自分の細胞に 他力の祈りを響かせる。
すると、自分の経験や限られた視野の範囲を超えたアイデアや直観、穏やかさに満ちてゆくことを知った。

そしてまた、今回 上人の話を聞いていると どうやら 死ぬときが今生のゴールと改めて知った。
死ぬ時、解脱して浄土(大いなるいのちの源)へ還ると そう決めたら ほんとうに心は穏やかになる。
つまり、死ぬ時 悟ることは もう決まっている。この一生をかけて「六道輪廻」を卒業する。

言い方を変えると、そこに向っているのだから たどりつくことは決まっている。そこへたどりつくように、ライトタイミングで物事が運ばれてゆく。先の見通しが明るければ 今も明るい。

わたしなりの納得素材は
2006年に 元のパートナーの誠さんが 火事で焼死した時、彼が光に帰って行ったことを体感したこと。
彼が、彼の本質へ還り、自在な働きを始めたことを 見えないけれど体感した。
 死ぬその瞬間まで 失敗や悩みを糧として 成長進化を続け、肉体を離れた瞬間に、最後のハードルを飛び越えた。自分のいのちよりも、愛する人の「いのち」を救おうとする「愛」の確かさが、「死」への怖れを超えた。

「解脱」がゴールなのだから、それはそれは、輝かしい「帰還」だった。

「南無阿弥陀仏」は、さんげの心も、極楽往生を求める心も呼びさまし 最後の時には ちゃんと必要な体験を通行手形として、晴れ晴れと光に還ってゆく、生き方を導いてゆく

なるほど・・

勉強も また 面白い。。
d0024504_22105198.jpg

(最終日の写真。出家道場が終了し、記念撮影をしたら 日輪が出ていました)
by ainohanaMusic | 2012-01-19 16:41 | 心の旅日記 | Comments(0)