愛の花

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初詣~お餅つき~友人の告別式

ゆっくりと始まったお正月。
初詣は2日の朝、
高烏谷神社の階段をのぼりながら
年末から痛む歯のことしか 考えられない。
それでも、28日に光に還ったbooさん、そして照美さんのことを感じながら過ごしたお正月。
いつも 人気のない静かな山の神社に向い 手を合わせる。

隣で哲生が祝詞をあげると
わたしの中の祈りの世界も自然と動き出した。
いつのころからか自然の中で働く神さまや精霊は うたと踊りが大好きで その本来の働きは 喜びの中にあるのだと感じるようになった。
哲生は、わたしが 人気のない神社や 山道で うたったり踊ったりしても
なにも言わず、そこにいる。時には一緒に身体を動きだしたり 楽しげにしていたりで わたしはわたしのままにいることができる。

今年の祈りは即興の歌と踊りになった。

輪をかいて歩く
それは これから 人と人が心をひらき手をつなぐ その 輪っか。
人と人が手をつなぐと
その真ん中に たくさんのいのち 鳥や草や花々や 水、大地、空気、鉱物、風 さまざまないのちが 息を吹き返す。そして、わたしたち 人類も 息を吹き返す

その絵を感じて踊り、うたった。

「何の歌?」
「即興だよ。今年の祈り。」
「声がよく出てるね。よく響いてる。空気が澄んでいるのかな?」

小さな声でうたったのに 哲生が そんなふうにコメントする。
そんなふうに すぐにコメントするのは めずらしいな。

初詣の後は、わたしは 速攻で保健センターへ。休日当番の歯医者さんに診療していただいて
やっと、耐えがたい痛みから解放された。そして この数ヵ月 歯の痛みと存分につきあったおかげで 歯の治療に関して 自分なりの覚悟と前向きな意識を持つことができた。

3日は、哲生の発案で 餅つき。
彼の家に臼と杵があるので昨年から 始めたが、蒸し器と鍋がなくて(昨年は借りた)今年は
どうしようか~と迷っていたが 結局 やることになった。
午前9時に 八星と一緒に 哲生の家に行った。
餅つき関係は、彼が準備して
わたしは、昼ごはんの準備。
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途中で近所の弥生さんが来て4人になった。
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玄米だったので 苦戦の末、おいしいおもちができました。
今度はロケットストーブを作ろうか~と弥生さんの提案。山には薪はたくさんあるので、ロケットストーブがあれば 煮炊きを 薪ですることが可能。ミニソーラー発電機は先日、設置できて、とりあえず廊下の明りは ソーラー発電でまかなえそう。手づくりの暮らしは持続可能で健全で気持ちが軽やかになる。今年は再び 家の表と裏の小さいながらの田んぼもやることにしました。
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4日は、哲生と二人でbooさんのお通夜と告別式に参加するために横浜へ向かった。
昼12時頃 出発して 着いたのが 7時頃。

わたしは、 正式な告別式に出席したのは1回しかない。
高遠に暮らしていた時、畑を教えてくれた隣人の 守屋さんのお葬式。

昨年、この世を去った母は、遺言どうりお葬式をしなかったが、日々のお念仏で供養した。
5年前に光に還ったパートナーの誠さんの供養は49日ころ、彼の好きなお念仏と音楽葬という形で 400人くらい集ったが 自由な気持ちと表現を持ち寄った「集い」となった。

2日に 黒い服を見つくろい、
3日には 黒い靴とカバンを バタバタと探し
結局、4日出発間際に カバンは 哲生に、
靴は 弥生さんに借りて やっと 喪服らしい姿になって 出発。
4日の夜は斎場に泊まった。
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今回、お通夜と告別式には行けない~と思っていた。わたしと哲生が二人で 2日あけることは なかなか難しい・・日取りを照美さんのブログで見たとき 水曜&木曜で驚いた。哲生に合わせてくれてるような気がして(哲生の休みが 水曜&木曜) 調整し、無理にでも行くことにした。

リトリートのスタッフで活躍していたbooさんと照美さんは、「このようにありたい」と感じた希有な夫婦だった。二人の姿は、ありのままでおかしくって、可愛らしくて 周りを感化する愛とユーモアに溢れていた。夫婦がお互いを心から大切にすることが 世の中を変えてゆける一番大きな力になる~と なぜか 感じてしまう二人だった。

その片割れが光に還って行った。
それって 大変なことだけれど きっと素晴らしいことなのだ。
見えない世界と見えてる世界を つなぎ、
「愛」そのものとして成熟してゆく 自らを満たしてゆく道を二人は それぞれに歩いている。

それは、わたしも通った道でもあり、また みんな  なんらかの形で 歩く道。
この世を去ることの中に込められている「祝福」は、「悲しみ」という過去のトラウマの解放につながる。

5年前 火事でパートナーを失い、たくさん泣いて軽くなったと思ったわたしも、10月に 子猫のチャロンが 亡くなった時 また泣いた~ 愛が深ければ 別れは悲しい。悲しいけれど いのちの形が変わってゆく必然に、祝福があることを ひらいたハートは 感応する。
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告別式では、リトリートで家族のようになったRちゃんの家族や、Nさんと再会。
booの亡くなった姿、照美さんの「死」を支え、「次の世界」へ生み出す母なる姿に、わたしたちは また それを見守り 共に成熟してゆける機会をいただいた。
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ところで、お通夜の夜
そして 告別式の朝 斎場には だれもいない静かな時間があって booさんに うたった。

わたしにとって うたうことは 自然なこと。鳥がさえずるように その「トキ」を内側に感じる。
隣人が亡くなった時も
母が亡くなった時も
わたしはうたい、亡くなった人は 思いがけず 返信を返してくれた。

うたい終えて通路で出会った
哲生が言いました。

「まだ時間があるから もっと、うたっていたら?」
「照美さんも うたいたいと思うから、わたしは もういいよ。」

わたしが自然にうたいだす時 哲生は なにか感じている。
場が変わってゆくとき その気配にも 気がついている。
 
booさんの計らいで わたしたちも 育ち感じあう場が与えられた。

booさんと照美さんが夫婦として輝いたツールは、

どんなときも「今」を 二人で楽しむこと。
どんな些細なことも、気持ちを言葉で伝えあうこと。
どんな日常も、ふたりで支え合うこと。

ありがとう、確かに受け取ったし、実践してゆくよ boo.
by ainohanaMusic | 2012-01-08 00:05 | 心の旅日記 | Comments(0)