愛の花

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東北の旅③

7月13日、女川町の避難所、海泉閣で支援ライブを終え 駐車場へ出たら月がきれいに空に上がっていた。
ああ~寝る前に、ビールが飲みたいナ~、そんなわたしの一人ごとを聞いたけろちゃんは、この夜の宿泊所のボランティアセンター、牡鹿公民館へ、自分の取っておきビールを冷凍庫で冷やすように友だちに頼んでくれました。夕ご飯は カップうどんとビール。雑魚寝の広間にはすでに眠っている人もいたけれど同じフロアで、4人でつつましやかな夕ご飯を囲みました。30分の道中、開業してるお店はコンビニ1軒だけで、そこも6時には閉まるとのこと。確かに、車の窓から見た風景は 行けども行けども壊れた海辺の町が続き、やっと到着した長期ボランティアの拠点となっている牡鹿公民館の上の高台の役所だけ明りが煌々としていました。
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ボランティアセンターの水道はタンクに毎日給水した水を大事に使い、ソーラーで蓄電した電気を必要な分だけ使かっていました。
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14日、長旅なのでオフの予定でしたが、東浜地区の避難所から コンサートの依頼がありました。ボランティアや行政のサポートが入らず ほとんど自分たちの力で運営していた避難所で、「歌手のような人は おれっちのところには 来ない、来てくれや・・」ということで すっからかんバンドと相談。「すっからかん」は予定どうり キャンプ場で休養、わたしは依頼を受けることになりました。

自分がバテテしまえば、声も出なくなりコンサートに来てくださる方々に迷惑をかけてしまうので無理は禁物。でも、願われて歌うことが一番いいタイミング、ツアー最終日まで 結局 10日間、 連続コンサートとなりましたが、最後まで歌えたことは奇跡。旅の途上、泳げるときはプールへ立ち寄って体を整え、旅の間もライブの後は緊張を緩め、ビールも飲んで(笑い)よく眠り、眠れないトキは 夜中でも起きて テルミーをして自分の手当てもしました。

また、心の病を抱えたすっからんバンドの3人にとっては、ボランティアーセンターでの雑魚寝など、知らない大勢に交じって旅をすること自体がチャレンジだったと思います。1泊のキャンプで 自分たちのスペースを取り戻した3人、また元気に演奏できてよかった。
 
東浜小学校は、避難所であり、小学校でもあり、午後2時ころは、教室から帰ってゆく子どもたち、そして 夕ご飯のお弁当が到着したり、校内放送が入って、「今日は音楽室でコンサートがあります。お仕事の手を休めて、音楽を聴きにいらしてください。」と、コミュニティーが機能してて心地いい空気が流れていました。音楽室は2階でしたが、みんなが機材を運んでくれました。みんなが 自主的に片付けも手伝ってくれました。他の避難所は、ボランティア慣れしてしまっているのか?手伝う人はいなかったのに、東浜小学校は一緒に作っているという自然さがありました。家財すべて無くしてしまっても、自分たちで作っているという意識は活気を生み出している気がしました。
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14日の夜は登米市のめぐみジャパンのボランティアセンターに泊りました。
この日は 長期ボランティアのミーティングが夜9時から。
若者が多く、20人くらいはいたかな?食費、シャワー代金を合わせて1泊700円。ミーティングの前に1曲、新曲♪キズキをうたいましたよ。思いを共有できている。一緒になにかできそう。
朝は7時には外でミーティング、一人ひとりがその日 どんな動きをするのか確認しあって、ボランティアに出発。
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15日は東松島の縄文村歴史資料館で、冷やし中華の炊き出しと支援コンサートを
茨城のNさんがオーガナイズ。でも、驚いたことに、この日の被災者へのコンサートは成立しなかったのでした。

中華そばは450食炊き出ししたのですが、コンサートは告知しない方がいい~営業目的と誤解される~というわたしには理解できない現地の事情と判断で告知はされておらず、告知されていないことも Nさんもわたしも気がつかず。結局 誰も集まらず、準備しても コンサートにはなりませんでした。ほんとに、なぜ こんなことに なってしまったのか?

コンサートは 心と心の懸け橋。心がつながっていないと成立しない。無料のコンサートを「営業目的」と誤解する人がいるとの気遣いで告知せず、炊き出しに集まった人に聞かせるという作戦だったと、 後で知りましたが、炎天下だったので 屋根の下の 炊き出しの場所と もうひとつ屋根のあるスペースコンサートの会場が離れたことと、当日は 避難所のみなさんが忙しく、炊き出しの冷やし中華を家族分持って帰られるつもりで家族の代表者だけが来られて、急に知らされても予定を変えることはできず、帰ってしまったのでした。

自分の「仕事」を無料で提供するのは、想いや志があるから。ボランティアの気持ちを疑う人も いるかもしれないけれど、今までと同じやり方では この日本は立て直せないと感じている。新しいやり方を「ボランティア」という形でチャレンジしている。一人ひとりが どこかで生き方を変えてゆかないと追いつかないと感じている。

被災地でのコンサートは、回数や聞いてくれる人数が大切ではなく 自ら聞きたいと思う人に 確実に希望を運べたらいいのだと思う。だから、 必要としてくれる人に必要なもの「希望」を届けてゆくようにその道筋を作ってゆくことが大切だと思います。よりよい世の中をつくってゆきたいという志 は、少しづつ 響いてゆくと思います

現地でボランティアを続け、希望への道筋を作っている人たちの存在は大切だと思います。 東北でボランティアをしている間もお金は必要だったから、少しでも資金があれば、活動は支えられます。よき人材が被災地支援に継続的にエネルギーを傾けられて、新しい文化が産まれてゆくように 祈っているし またわたし自身もこの地に戻って来れるように心がけてゆきたいと思います。

ところで、せっかくコンサートの設営をしたのでNさんや すっからかんバンドのみんなのためにうたうことにしたのです。そう、この日は、こうなってしまったら 仕方ない、一緒に同行してくれた友人たちのために うたったのでした。そのコンサートの歌声を聞き取った避難所の女性3人が、「いい声だ」と聞きに来てくださいました。一人の男性は、駐車場を出発するときに「あの美しい声の方はどの人ですか?」と探しに来ました。その方は「久しぶりに ぶれない声を聞いた。聞きたかった。」とほんとうに残念そうでした。どの場所にも求めてる人はいる。そんなことを 最後に感じられて ホッとしました。

東松島を出発したのは午後4時。茨城に着いたのは夜12時過ぎ、途中 目がかすんできていて、あいりに運転してもらいました。1週間 連日のコンサートと長距離移動で、疲れが出て、この日の朝、あいりに、「わたしが一番助けてほしいのは運転。助けてくれる?」と聞いてみたのです。運転を交代してくれたあいり。助かったよ。ありがとう。

そして、茨城までの道のりで あいりは心の病になる以前の自分を思い出し、語ってくれました。
「このツアーの間、悩んでる暇がなかったし、病気になる前、夢を持って働いていた時の自分を思い出した。」

そっか~
病気も、事故も、そして自然災害も みな それぞれが それを体験する前の自分自身よりも 深くたくましく、優しくなれるチャンスを与えてくれる

「震災を超える道」

そこを みんなで歩いてゆこう。
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by ainohanaMusic | 2011-07-23 19:24 | 心の旅日記 | Comments(0)