愛の花

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すべてをなくして愛と出会う ♪無限 

家族も家も失い、避難所に暮らしているみなさんの再生を祈っています。
 
わたしは2006年12月漏電からの火事で、パートナーを亡くし、家とすべてのものを焼失しました。また、子どもを助けたとき、両手に重度のやけどを負いました。
 
すべてのものは必然で与えられ導かれていると信じていたけれど、大切な人を失った心の痛みと、やけどの痛み、家も楽器もすべて失って、ゼロから始めなければならない事態に 直面して、なぜ、こんな不幸が3つも重ならなければならないんだろう?と、正直どこへ導かれているのかは、わからなかったのです.

でも、大きな宇宙の意図を感じていて、心は静まっていました。

救急車で運ばれた病院では、自然治癒を待つことは不可能で移植手術しか手立てがありませんでした。楽器を弾く両手が不自由にならないように、自然治癒の道を選び、1週間後 には、自主退院しました。日本中の仲間たちが両手の完治を祈ってくれました。2カ月目には、身を寄せていた隣人の家から県営住宅へ仮住まいでしたが、独立しました。
 
なにひとつ残っていませんでしたが、全国の友人たちが義援金を送ってくださって、そのかけがえのないお金で、楽器や音響機材、ツアーするための車、今までリリースしていた CDアルバムをもう一度発注し直しました。着る物や生活用品はみんなが有り余るほど送ってくださいました。

火事の3カ月後に応援の気持ちで、コンサートを依頼してくれた友人がいました。 昼夜、痛むやけどの両手に包帯を厚く巻いて、パートナーの残したギターを弾き、コンサートツアーを再開しました。
 わたしはうたい、彼がギターでサポートして音楽活動していたのですが、火事の朝、なぜか彼は、自分のギターを隣人に貸して、ギターだけがわたしに残されました。彼の遺志を 感じて、わたしは包帯を巻いた手で、初歩から必死で練習し演奏しました。ふり返れば、これは手の皮膚が固まらないようにリハビリとして有効だったのです。

そのとき小学校6年生だった次男が、両手に皮膚のないわたしが台所に立つと、かばうように料理や洗いものを率先してするようになりました。そんな次男の料理は、パンと春雨 の炒め物とか(わらい)見たこともないものでした。守ってあげなければと思っていた子どもたちが わたしを守ろうと成長してゆきました。

前進した分だけ、一人になると思いもかけず号泣し、泣いた分だけ軽くなって、いつの間にか、二人でやっていた仕事を一人でこなしていました。光の世界に旅だった彼が、いつ も支えていることを感じていました。旅立った人は、こうして生きてる家族を支え、天地はつながってゆくのだ思いました。
 
彼が光の世界に旅立ってから、生きている人より、魂になった彼の方が愛しくて、心で話しかけることが支えになっていました。生きてる時より一体感がありました、2年してパ ートナーがわたしに伝えてきました。

「僕にしたいことを 目の前の人にしてあげて。」

どんなに愛しあっていても、この世を旅立ったら肉体として蘇ることはない。そのことは、どんなに祈っても変えることはできませんでした。どんなことでも、本気で祈れば叶う ような気がしていました。けれども、彼は蘇ることはなかったのです。生きて存在していることが、どんなにかけがえのないことか思い知りました。生きている間に子どもたちや 愛する人たちにできる限りのことをやりきりたいと思いました。自分のいのちだって、いつまであるのか分からない。
 
生き方が変わりました。ないものを求めるのではなく、目の前に与えられたものを、より好みせず受け取り、愛すること、自分のできることを喜んでやりきること。そのようにな れたことに、今では心から感謝しています。 無限といううたを贈ります。みなさんの再生への道を心から応援しています。


by ainohanaMusic | 2011-04-10 20:42 | 心の旅日記 | Comments(0)